あおもり110山
(いどだけ  1550m  青森市)
 
■ 保護訴える“段々畑”

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植生復元事業の跡が痛々しい井戸岳南斜面。破壊は短期間でも、復元には気の遠くなるような期間が必要だ=1997年6月25日、大岳山頂から
 八甲田大岳の山頂から井戸岳南斜面を見ると、異様な光景が目に飛び込んでくる。赤茶けた崩壊地に、びっしり設置された土留め柵(さく)。段々畑のようにも見えるし、幾何学的なオブジェのようにも見える。豊かな自然の中の人工建造物。その中央を登山道が通る。

 登山者の踏み付けなどで表土がはがれた斜面に、緑を呼び戻そう、と県が行った事業だ。

 プロスキーヤー三浦雄一郎さんの父・敬三さんが井戸岳を紹介した文が「東北の山々」(朋文堂、1962年刊)に載っている。

 「大岳からミネズオウ、ガンコウラン、コケモモ、コメバツガザクラなどが弾力的に敷きつめられた井戸岳のふもとに出る。ここに出るとまず草のしとねに横たわり、この素晴らしい感触を味あわなければならない。身体は半分ほどもこの中に埋まる。(中略)硬い登山靴のびょうも軟らかく感じるこの辺りは、道らしい道もなく自由に登れるが、崩壊地が見える側に寄って登ればよい」

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爆裂火口跡が荒々しい井戸岳=1997年6月25日
 今からわずか35年前は、大岳から井戸岳に通じる登山道が無く、一帯は高山植物で埋め尽くされていたことが、この記述から分かる。それが、登山客が増えるにしたがって次第に道ができ、加速度的に崩壊していく。

 1935(昭和10)年ごろの写真を見ると井戸岳南斜面は、中央の崩壊地が見えるだけで、登山道の痕跡は全く見当たらない。しかし、75年ごろの写真を見ると、崩壊地の右側に細い道が出来たことがはっきり分かる。さらに85年ごろの写真を見ると、崩壊地は一気に広がり、現在見られる規模になっている。

 その原因は、レジャーブームで登山熱が高まり、68年開業の八甲田ロープウエーが拍車けた−と関係者はみる。(1)許容量を超えた登山者が道の無い所を歩いた結果、踏み跡道ができる(2)地盤がもろいため、そこを糸口に崩壊が始まり、あっという間に傷口が広がる−という構図だ。こうして井戸岳南斜面、大岳の南北斜面は、姿を変えていった。

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土留め柵の中にミヤマキンバイやミヤマオダマキの高山植物が入ってきた=1997年6月25日
 県自然保護課が、八甲田の植生復元事業に乗り出したのは84年からだった。まず、崩壊斜面に柵を設置し土砂の流出を防ぐ。そして、段々畑状の所にミネヤナギを挿し木したり、一帯に成育している高山植物の種をまく、という手順だ。

 井戸岳南斜面の事業は89年に終わり、大岳北斜面は、あと2−3年で終了する予定という。

 柵を設置したことで土砂流出を防ぐことには一応成功したが、問題は植生復元だ。事業終了から8年たった井戸岳南斜面の“段々畑”にはミヤマキンバイやミヤマオダマキなどの植物が入り込んできてはいるものの、まだまだ以前の姿には程遠い。厳しい自然が立ちふさがっている。

 県自然保護課の中村憲嗣技師は「早く緑に戻せ、という声があるが、生態系を変えないようにするため、付近の植物の種をまいている。今の段階で事業の成否を判定するのは難しい。気の長い事業です。推移を見守っていきたい」と話す。

 壊れた自然を元に戻すのは、いかに難しいかを、この植生復元事業は雄弁に物語っている。井戸岳の“段々畑”は、自然保護の大切さを訴える反面教師といえそうだ。

<メモ> 荒々しい爆裂火口跡

 北八甲田、南八甲田とも山の姿は穏やかだ。その中にあって、井戸岳だけは、爆裂火口跡が荒々しく、他の山々と違った印象を与える。登山道沿いにイワウメ、コメバツガザクラ、ミヤマキンバイ、イワカガミ、ミヤマオダマキなど高山植物が咲き乱れる6月下旬−7月上旬が井戸岳の最も良い季節。夏に登山道脇に咲くイワブクロは、県内では井戸岳にしか見られない高山植物だ。

 国土地理院の地図には井戸岳の標高は記載されていない。当記事では、県民手帳に載っている標高を引用した。

(1997/8/30  東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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