あおもり110山
(ひなだけ  1240.3m  青森市)
 
■ 親子3代、魅せられて

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端正な姿を見せている雛岳。左は高田大岳=1997年5月28日、国道394号と県道の交差点付近から
 北八甲田・雛岳のふもとに茶屋が3軒ある。春の山スキー、初夏のレンゲツツジ、秋の紅葉…。折々の季節、茶屋は訪れる人たちでにぎわう。

 ここに最初に茶屋を開いたのは、青森市幸畑で食堂を経営していた外崎イマさんだった。イマさんは、幸畑陸軍墓苑を毎日清掃し善行表彰を受けたことで知られる。田代高原の箒場岱にキノコ採りに来たイマさんは「ここに店が一軒あればいいなあ」と考え、田代牧野畜産農業協同組合から土地を借り1969(昭和44)年、プレハブ小屋を建てて営業開始。翌年には今の「レストハウス箒場」を建て、本格的に営業を始めた。

 電気も電話も水も無かったため、商売は困難を極めた。イマさんはここに寝泊まりし日中は息子昭久さんの妻君江さん(64)が手伝った。が、店が1軒しかなかったため、大忙し。昭久さんは勤めていた会社をやめ、経営に携わるようになった。

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登山者でにぎわう雛岳山頂。正面は高田大岳=1995年10月10日
 店の背後に形の良い雛岳がそびえている。昭久さんはたちまち雛岳に魅せられた。暇を見つけては毎日のように登った。木が好きだったが持ち帰れないため、自生しているハイマツやシャクナゲに会いに行き、ひとしきり楽しんでから下山する毎日だった。「雛岳がほしいなあ、買いたいなあ」が口癖だった。

 そのころ、雛岳に注目したもう1人の人がいた。当時青森市観光課長の本間勝四郎さん(72)だった。登山が趣味の本間さんは、田代湿原に木造を設置する事業で何回も足を運んでいるうちに雛岳に登ってみたい、と思うようになった。ところが当時、雛岳には登山道が無く、濃密なササやぶが行く手を遮っていた。

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外崎イマさんの石像と君江さん、正賛成さん=1998年6月24日
 「ここに登山道をつけたら素晴らしくなる。みんなに登ってもらいたい」と考えた本間さんは、登山道開削を決意。山は十和田八幡平国立公園内にあるため環境庁国立公園管理事務所に相談したところ、快諾を得た。

 ルート設定は、本間さんと観光課職員3人の計4人でやった。箒場岱から高田大岳・小岳に向かう登山道の途中から、登りやすい斜面にルートをつけ、目印としてなたで枝を払っていった。登山道整備は牧野組合や昭久さんらにお願いし、この目印に沿って800メートルの登山道が開かれた。78年秋のことだった。

 「今の時代だったら、登山道開設は認められたかどうか。登山者に喜ばれているのでやって良かった、と思っている。好きだからできたと思う」と本間さんは振り返る。

 昭久さんの死後、息子の正賛成さん(33)が85年、店の経営を引き継いだ。店を閉鎖する冬期間、何かをしよう、とスキー教室に通いスキーを覚えた。あちこちの山で滑るうち「すぐ近くに雛岳という良い山があるじゃないか」と思い直した。こうして87年から、春スキーの季節になれば毎日のように雛岳に登り、滑り降りた。「体を鍛えるためとスキーの練習のため」と正賛成さん。これを5年間続けた。スキーの腕は上達、いまスキーシーズンになれば、ガイドを務める。

 春、店を再開するとき正賛成さんは雛岳に登り「また、頑張るよ」と亡き父に声をかける。そして秋。店を閉めるとき再び登り「冬になるから下がるよ」と声をかける。「雛岳には父がいる、というイメージを持っているからなんです」

<メモ> 静けさを楽しめる登山道

 箒場岱から高田大岳・小岳の鞍部(あんぷ)に出る登山道は長くて変化に乏しいため、訪れる人が少ない。しかし、登山道沿いのブナ林が美しく、赤倉岳が屏風のように広がって見える眺望は他では得られないため「静かな山旅が楽しめる」と隠れたファンが多い。鞍部は湿原で、季節になると高山植物が咲き誇る。県高校総体の山岳競技でこのコースを下山ルートに利用している。登山道の刈り払いは定期的に行われている。

(1998/8/8  東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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