あおもり110山
(まのかみやま  549.2m  青森市・五所川原市)
 
■ 放送局のアンテナ林立

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ブナ木立の中を通っている馬ノ神山登山道。春になれば道の両側に山野草の花が群落をつくって咲き乱れる=1997年5月9日
 1992(平成4)年6月30日。馬ノ神山は突然、県民の山関心を集めるところとなった。西北五地方約5万5千世帯のNHKテレビ放送が1時間にわたって中断したのである。馬ノ神山にある同局中継所のケーブルが、県防災無線中継局の工事で誤って切断されたのが原因だった。

 あらためて馬ノ神山を遠望すると、アンテナが林立していることに驚かされる。山頂には青森テレビ、青森朝日放送、FM青森の共同アンテナが立ち、山頂南側の峰にはNHKと青森放送の共同アンテナ、県防災無線中継局、テレコム青森などのアンテナが立っており、さながら“電波銀座”の様相を見せている。

 一番最初にアンテナを立てたのは青森テレビだった。同局は69(昭和44)年12月1日の開局をめざし、県内各地に電波を飛ばす親局をどこに建設するか検討した。(1)UHF電波の性格上、高い山の上が望ましい(2)既存林道がかなり上まで延びている所(3)日常の保守点検が容易な所−が条件だった。そして馬ノ神山しかない、という結論に達した。

 既存林道から2本の管理道を建設、雪上車も用意した。本社からのマイクロウェーブを山頂で受け、ここからの直接の電波で県内57%をカバー、さらに烏帽子岳、階上岳の中継所を使って県南地方をカバーする態勢を整えた。

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奥が山頂に立つ青森テレビのアンテナ。手前がNHKなどのアンテナ=1998年2月24日、梵珠山山頂から
 トラブル発生が予想された最初の冬は、現取締役総務局長の阿部正樹さん(55)と現技術管理部長の三橋真さん(53)が山頂の親局に泊まり込み、不測の事態に備えた。雪上車の免許をとり、下界との連絡の足に使った。「雪上車で五所川原市へ食料買い出しに行ったものです」と阿部さんは懐かしそうに言う。

 雪上車は万能ではない。斜面を横切るとき、人手で雪かきし通路を開かなければならないことも。また雪が深いときは雪上事を捨て、山頂まで約1kmを歩かなければならない。「かんじきを履いてもひざまで雪に潜る。一度に10歩も歩けなかった。ふぶかれ、方向が分からなくなったこともあります」と阿部さん。

 その後、FM青森と青森朝日放送の共用に伴いアンテナを延ばし、現在のアンテナの高さは地上から56.6m。青森市からもよく見える。

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津軽半島の“背骨”の南に位置する馬ノ神山(中)=1997年8月17日、青森市鶴ケ坂の国道7号付近から
 18年間保守点検業務に携わった阿部さんは 「ここには私の青春が詰まっている。そして、山頂は青森テレビの命綱なんです」と語った。

 一方、NHKと青森放送は以前、西北五地方のサービスの際、小さな中継所7カ所で対応していた。保守点検の効率化を図るため、どこか1カ所に大きなアンテナを立てようということになった。青森テレビが実績を収めていることを参考にし、山頂南側の峰に82年8月7日、中継所を開局させた。放送局から青森市鶴ヶ坂の鷹森山山頂の基幹局にマイクロウェーブで送り、ここから馬ノ神山にVHF電波を送信、そして馬ノ神山からUHF電波に変えて西北五地方に送るシステムだ。

 NHK青森放送局放送センター技術副部長の工藤敏明さん(56)は「サービスエリアが確保でき保守も楽。中継所として最適です」。

 最新技術が集積された馬ノ神山だが、春に山頂北側の登山道を歩くと、多くの山野草の花を、それも群落で楽しむことができる。馬ノ神山のもう一つの顔である。

<メモ> 津軽藩がふもとで馬生産

 津軽藩は5力所に牧を開き、馬を生産した。一番最初につくつたのは1638(寛永15)年に開いた津軽坂(現青森市鶴ヶ坂)の牧。六ヶ所村倉内から招いた倉内図書が牧頭を務めた。馬ノ神山のふもとが鶴ヶ坂地区。このため山の名は、馬産にちなんでつけられたのでは、という推測が成り立つ。津軽坂の牧は1839(天保10)年「廃止された。「まのかみやま」との読み方はコンサイス日本山名辞典(三省堂)に従った。

(1998/3/28  東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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