あおもり110山
(たかもりやま  386.5m  青森市・平内町)
 
■ 御幣手にお山参詣

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高森山のお山参詣を終えて「おば石」まで下山してきた平内町山口地区の人たち。みんな晴ればれとしている=1997年8月15日
 1997(平成9)年8月15日午前9時半。「さーいぎ、さいぎ」の声が響き渡った。高森山の平内町山口側登山口。約60人のお山参詣の隊列が、登山ばやしの太鼓に導かれて登り始めた。

 お年寄りがいる。高森山登山囃子保存会と染め抜かれたそろいのはんてんを着た子供たちがいる。みんな手に御幣を持っている。山□地区有志会の会員が2日がかりで作ったものだ。家内安全、合格祈願、交通安全…。参詣者それぞれの思いが御幣に書き込まれている。

 ほどなく地元の人たちが「おば石」と呼んでいる大岩の前に着く。御幣をそこに置き、急坂を直登する。ずるずる足を滑らせながらも、ロープにつかまりながら必死に登っていく。

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端正な姿をした高森山。下の集落は青森市浅虫=1997年5月9日、国道4号から
 山頂には午前10時半に着いた。ほこらに手を合わせ、早速小宴を開く。祈りを終えた喜び、そして白分の体力を確認した喜びで、どの顔も晴ればれとしている。正午には恒例となっている戦没者への黙とうをささげ下山した。

 岩木山のお山参詣は、旧8月1日のご来光を目指して登る。しかし、高森山は8月15日。なぜその日なのかはだれも分からない。古老に聞いても「昔からだ」という答えが帰ってくるだけ。文書にも残っていない。

 山口地区のお山参詣は長年、地区の青年団が仕切っていた。が、青年団活動は先細りとなり有名無実化してしまった。「このままではいけない」と青年団OBたちが有志会をつくったのは約20年前。以来、有志会がお山参詣を取りまとめている。

 「お山参詣で町の活性化を目指したんです。岩木山のようにやりたい、と」。有志会を引っ張ってきた町社会教育課課長補佐の須藤恵悦さん(48)は振り返る。

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ロープにつかまりながら急坂を登る参詣者=1997年8月15日
 地区の伝統行事を子供たちに伝えていこう、と10年ほど前、小学生ら40人を集めて登山ばやしの笛の講習会を開いた。バス2台を連ね、岩木山登山ばやし大会も見学した。その効果はてきめんに現れ、当時の高森山お山参詣の参加者は230人も数え、山頂は人であふれ返った、という。

 しかし、盛り上がりは長続きしなかった。子供たちは笛をマスターしたものの、スポーツ大会などにとられ、婦人会も町の夏祭りに動員されるなど、お山参詣の参加者は減っていった。登山ばやし講習会も休講が続いている。

 今回のお山参詣をまとめた有志会の本堂保さん(46)は「このままでは駄目なので、講習会を再開させようと考えている。後継者がいなくなるのが心配だ。お山参詣を通して、子供たちに山口での思い出をつくってほしいのだが…」と話す。

 高森山山頂での小宴が盛り上がったころ、親子連れが登ってきた。「やあ」「しばらくだなあ」。早速輪に入り旧友たちと話に花を咲かせる。10年前から仙台市に住んでいる同地区出身の会社員本堂正さん(38)だ。

 「子供が大きくなったのでここ5年くらい続けて登っている。自分がやってきたことを子供に知らせたいし、なによりもここに来るとみんなと会えるのがうれしい。いつまでも、どこにいても、ふるさとはふるさとなんです」

 本堂さんがそう言うと「そうだよ、そうなんだ」と周囲から声が上がった。

<メモ> 神社別当が山頂で雨ごい

 高森山は昔、修験者が雨ごいをする霊場だった。昭和の初めごろまで、干ばつになれば人々は山崎神社の別当に雨ごいの祈とうを依頼し、別当は山頂で雨が降るまで何日問も太鼓を打ち鳴らした。

 高森山は以前、女人禁制だった。女性が登れば天候が荒れる、がその理由だった。これを逆手にとリ、女性を山に登らせることで雨を降らせよう、と試みられ、それ以降は別当に祈とうを頼まなくなった、という。

(1997/9/13  東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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