あおもり110山
(すりばちやま  189.5m  青森市)
 
■ なぞ秘めた中世の館跡

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正面の山頂のように見えるのが尻八館T郭。山頂はそのすこし奥にある。手前は藩政時代築造のため池=1997年10月24日
 青森市後潟地区の西方にある小高い丘・摺鉢山。地元には古くから「あれは城跡だ」「遺物が埋まっている」という言い伝えがあった。実際、営林署が1910(明治43)年、林道や防火線を造ったとき、かなりの量の刀剣類が出土、伝説を増幅した。

 「小学生のとき、この山に遠足でよく登った。引率の先生は『この山は館跡で、潮潟四郎道貞(津軽安藤氏の一族と言われている)がいた』と教えてくれた」。後方羊蹄=しりべし=郷土史研究会(地元の歴史研究会)の古い会員たちは口をそろえてこう言う。そして「子供心にも記憶に強く残ったものだ」。

 言い伝えや“ふるさと教育”で館跡を大事にしよう、という気持ちが醸成されていったのだろう。28(昭和3)年に山城公園保勝会ができ、これとは別に後潟郷土史研究会が発足、約40年前に後方羊蹄郷土史研究会と衣替えした。保勝会も研究会も現存しており、地元の人たちがこの館跡にいかに愛着とこだわりを持っているかが分かる。

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尻八館U郭。付近から珍しい香炉が出土、館跡が注目されるきっかけとなった=1997年11月7日
 館跡の価値を高めたのは、ちょっとしたきっかけからだった。71年5月30日。研究会現会長の片川世一さん(69)は仲間数人と「何が出土するか掘ってみよう」と軽い気持ちでII郭(かく)付近を試し掘りしてみた。地下1mから青磁のかけらが出た。

 かけらは、県工試の鑑定で中国製であることが分かり、76年、東大名誉教授の三上次男博士の鑑定の結果、中国浙江省の竜泉窯で13世紀に作られた浮牡丹唐草文大香炉であることが分かった。この香炉は、大切に伝えられてきたものでは足利尊氏が奉納したものなどが知られているが、出土例はこの館跡しか記録されていない。

 「あんな貴重なものが、なぜ後潟に、と思った。本当に驚いた」と片川さんらは振り返る。驚きは行政側も同じだった。早速、県立郷土館を中心に調査委員会が組織され77年から3年間、T郭とII郭で発掘調査を行った。

 その結果、城郭のおおよその構造を把握、陶磁器など出土品から14−15世紀の館跡と推定した。出土品は1,800点。陶磁器1,450点(うち少なくとも中国や朝鮮半島から渡ってきたものが124点)、金属類210点、石製品130点、漆器10点がその内訳だ。日本最古の古銭和同開珎も1枚あった。当時、京都や鎌倉で使われていた茶道具も見つかった。

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出土例ではわが国唯一の浮牡丹唐草文大香炉(中国竜泉窯産)=青森県立郷土館
 これらをもとに調査委員長だった村越潔現青森大教授は報告書で「館跡の規模や出土遺物の内容から、かなりの政治的支配力や経済力を持った豪族の城郭に違いない」と記した。当時、このようなカを持った豪族というと津軽安藤氏が浮上するが、それを裏付けるものは何一つ出土していない。また、この館跡は尻八館と命名されているが、尻八舘と断定する根拠は皆無。正確には 「伝尻八館」だ。

 郷土館の柿崎敬一学芸課長や泉谷政孝副参事は「とにかくなぞが多い」と言うが、調査は郭の一部にとどまりその後、全く行われていない。

 「勝手に発掘するな」と言われている地元の研究会は調査が再開されないことにいらいらを募らせている。片川さんらは「何が出てくるのか。未知の世界だ。安藤一族の館跡という証拠がなんとしても欲しい」と夢みる表情で訴えている。

<メモ> 地元では「はち山」の愛称

 摺鉢山は無名峰だ。山頂には3等三角点があるが、国土地理院は「残沢II」という仮称しか与えていない。角川日本地名大辞典では「館は六枚橋山にある」と記しているが、だれもそう言わない。地元の人たちは「はち山」と呼んでいる。「後潟後方羊蹄事蹟考」(1958年、後潟山城保勝会など編)「郷土の歴史的経過」(65年、旧後潟郷土史研究会編)、それに郷土館報告書で摺鉢山といっているため、記事はそれに倣った。

(1998/3/7  東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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