あおもり110山
(ぼんじゅさん  468.4m  浪岡町=現青森市・五所川原市)
 
■ 地元が支える県民の森

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ボランティアガイド(手前)の説明で、キツツキが木にあけた穴を見る観察会参加者たち=1999年5月23日、梵珠山登山道で
 1999(平成11)年5月23日。まばゆい新緑に包まれ、梵珠山で観察会が開かれた。題して「のんびりゆっくり梵珠山」。県立自然ふれあいセンターの行事だ。参加者は約30人。3班に分かれ、それぞれボランティアガイドの説明を受けながら梵珠山の自然を楽しんだ。

 梵珠山は昔も今も多くの人々を受け入れてきた。「梵珠千坊」の言い伝えがあるなど信仰の山としての色合いが濃い。五所川原市側の中腹には津軽三十三観音25番札所の松倉神社がある。

 ひっそりした信仰の山に多くの県民が訪れるようになったのは68(昭和43)年、県が明治100年記念事業の一環として一帯555haを「県民の森」に設定したことによる。これを契機に登山道が整備され、快適に山歩きができるようになった。

 県民の森は県が運営しているが、開設から92年の自然ふれあいセンターのオープンまでの間は、地元浪岡町(現・青森市)の管理人が常駐して管理してきた。開設時から管理人として働いてきたのが後藤伸三さん(57)=浪岡町大釈迦=だ。歩道整備、水道工事、側溝整備を手掛けたほか、歩道の草刈りや階段の補修などをしてきた。

 後藤さんはしばらく1人で管理していたが、77年から間山良治さん(48)=同町女鹿沢=が加わった。間山さんは最初は歩道整備などに従事していたが、自然観察指導員の資格を得て、山の案内や梵珠山の自然の撮影などを行ってきた。

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奥が山頂に立つ青森テレビのアンテナ。手前がNHKなどのアンテナ=1998年2月24日、梵珠山山頂から
 県民の森の運営が大きく変わったのは、自然ふれあいセンターができてからだった。オープンを機に年間約35回の観察会や講習会を開催、多くの県民に自然に関心をもってもらおう、と知恵を絞っている。冒頭に紹介した行事もその一つだ。

 多彩な運営を支えているのが、後藤さん、間山さん、天内竜一さん(31)=同町徳才子=、後藤千賀子さん (33)=同町大釈迦=の4人の地元スタッフ(非常勤職員)だ。後藤伸三さんは外の管理、岡山さんは自然観察や展示のアイデア提供、天内さんは遠距離登山のガイド、後藤千賀子さんはクラフト関係…とそれぞれが得意分野でカを出し合っている。このほか、登山道の補修、排水溝の葉上げ、下草刈りなどの作業は大釈迦森林組合の2人に委託している。

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津軽地方の多くの場所から見える梵珠山=1997年10月2日、東北自動車道浪岡IC付近から
 センターに駐在している県職員は、県自然保護課総括主査の田沢潤一さん(37)1人。「私は方向性を示すだけ。あとはスタッフ中心でやっている。地元スタッフがいることで、運営が円滑に運んでいるのは事実だ。スタッフがいなければセンターの運営は成り立ちません」と言う。

 30年以上梵珠山で仕事をしている後藤伸三さんは「梵珠山の四季の移り変わりが好きだ。好きな山で仕事ができ、とても満足している」と話す。また20年以上勤めている間山さんは「私の人生に山が無ければならない、と思ってきた。山と切り離した生活は考えられない」と語り、趣味と実益を一致させている様子だ。

 センターの目玉行事の日曜観察会(毎月第3日曜)には登録している30人の講師が手弁当で駆け付ける。そして受講者たちが今度はボランティアガイドとなって活躍する。それを支える地元スタッフたち。多くの人たちがかかわって県民の森がある。

<メモ> ユニークな火の玉ツアー

 浪岡町(現・青森市)は1988(昭和63)年から旧暦7月9日に梵珠山で、火の玉ツアーを催している。「梵珠山で火の玉が見られる」との昔からの言い伝えをもとに行っており、多いときは300人も参加する。夜、お坊さんを先頭に登山するものだが、実際に火の玉を観察できた人もいる、という。もともと同町大釈迦の登拝行事をアレンジしたものだったが、山に失礼なのでそろそろ行事を大釈迦地区に返そう、という動きも出ている。

(1999/7/2  東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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