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2005年1月28日(金) 東奥日報 ニュース


■ 青森で「縄文フォーラム2005」

写真  保存決定から十年の節目を迎えた三内丸山遺跡の「今」に迫る「三内丸山遺跡・縄文フォーラム2005」(県教委と東奥日報社などでつくる実行委主催)が二十八日、青森市のホテル青森で開かれた。メーンのトークセッションでは、十年間の調査成果と今後の遺跡の在り方について、研究者と発掘担当者の間で活発な議論が交わされ、会場を埋めた約六百人の考古ファンが熱心に耳を傾けた。

 通算十三回目となる今回のテーマは「それからの三内丸山〜新たな縄文世界へ〜」。最初に実行委会長の佐々木高雄東奥日報社社長が「昨年はドイツで報告が行われるなど、三内丸山は地球的規模で広がりをみせている。この十年の節目を新たなスタートにしたい」とあいさつした。

 第一部では、三内丸山遺跡の本年度調査について、県教委同遺跡対策室の佐々木雅裕主事が報告。佐々木主事は沖館川に面した集落の北西側斜面で、焼失した住居跡が出土した状況を紹介し、「恐らく住居の上屋が焼け落ちており、屋根が土ぶきであった可能性がある」と述べた。

 第二部では、中国・興隆溝遺跡で昨年度まで行われた日中共同研究のその後の研究成果について、東北学院大の佐川正敏教授(東アジア考古学)が報告。「中国最古の栽培キビとアワが検出されたのが最大の発見。興隆溝は狩猟採集生活の中に原始的な栽培を取り入れた社会だったのでは。クリを栽培していた三内丸山に通じるものがあり、興味深い」と語った。

 第三部では、文化庁の岡田康博文化財調査官が、三内丸山が国内外に与えた影響とその価値について解説。続いて国立歴史民俗博物館の西本豊弘教授(動物考古学)が、炭化物からみえてきた三内丸山の最新の研究成果について語り、「遺跡出土の円筒土器に付着している“おこげ”を調べた結果、大量の魚を食べていたことがみえてきた」と、縄文の人々の食生活の様子を紹介した。

 第四部のトークセッションでは、岡田調査官、西本教授に加え、遺跡対策室の四人の職員が登壇、国立民族学博物館名誉教授の小山修三氏(民族考古学)の総合司会で討論が行われた。出席者は十年間の研究成果を紹介した上で、「一九九四年で発掘が終わって遺跡が破壊されていたら、こうした成果は誰も知ることができなかった」と語り、保存決定の意義を再確認していた。

※写真=それからの三内丸山をテーマに開催された「三内丸山遺跡・縄文フォーラム2005」(青森市のホテル青森)

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