| 2003年8月13日(水) |
イラク戦争終結から四カ月が過ぎた。米軍三沢基地からは、イラク南方監視作戦(サザンウォッチ)に参加していた米軍三沢基地のF16戦闘機(六機)が、そのまま実戦に投入されたが、作戦行動の詳細は謎に包まれたままだった。しかし、防空網制圧(SEAD)という特殊任務を持つ三沢のF16は、航空作戦開始初日から毎夜バクダッド上空を飛行、「地対空ミサイルを根絶やしにする」など首都攻撃の中核を担っていたことが、米軍機関紙や航空専門誌などから分かった。「やりの穂先」の異名を持つミサワはその名の通り、航空攻撃の先陣を真っ先に切る最精鋭部隊だったのである。(編集委員・斉藤光政) イラクに投入されたのは、三沢基地・第三五戦闘航空団のうち、「サムライ」と呼ばれる第一四飛行隊。同飛行隊は十八機で構成されるが、そのうちの六機を飛行隊長のスコット・デニス中佐自らが率いた。 米軍機関紙である「スターズ・アンド・ストライプス(星条旗)」や日米の航空専門誌などを総合すると、三沢のF16はイラク南方監視作戦に参加した二〇〇二年十二月から、バグダッド陥落の〇三年四月九日までの間に、約七百五十回出撃し、総飛行時間は三千七百時間に達したという。 一機当たりの出撃数は百二十回以上(六百時間以上)という濃密さで、「イラク軍の地対空ミサイルと対空砲に何度もさらされた」という。 注目すべきは、三沢のF16がバグダッド攻撃に参加した最初の“非スティルス”機で、しかも、防空網制圧用の特殊ミサイル・ハーム(HARM)を発射した最初の部隊であるということ。開戦に伴う航空作戦は三月二十一日夜に始まったが、防空網制圧という部隊の性格上、三沢が全軍の露払い役を務めていたことがよく分かる。 こうした状況について、デニス隊長は「われわれは開戦の夜はもちろん、それ以降毎夜バクダッドの上空にいた。初めての夜は全くショーのようだった。イラク軍は激しく撃ってきたが、それは人生の中でとても恐ろしいものの一つだった」と率直に述べている。 三沢のF16の緒戦三日間の戦いぶりはすさまじく、首都防空網に対してハームミサイルで連続攻撃。「陸軍のバクダッド侵攻前に、地対空ミサイルシステムを根絶やしにした」(デニス隊長)という。また、三沢のF16はイラク戦争の特徴の一つとなった精密誘導爆弾を実戦で初めて使用した。その種類は不明だが、GPS(衛星利用測位システム)やレーザーなどによって、爆撃誤差を少なくしたJDAM(統合直接攻撃兵器)、JSOW(統合スタンドオフ兵器)と呼ばれる新世代型の投下爆弾とみられる。 現代戦を象徴するように、三沢から派遣されたパイロットの中には女性二人が含まれていた。 米空軍が持つ防空網制圧専門の戦闘航空団は三沢を含めて五つだけ。このため、三沢は湾岸戦争終結後の一九九六年から半年に一度の高率で、航空宇宙遠征軍(AEF)に派遣され、イラク南北の監視作戦に携わってきた。その回数は計十五回に上る。 いわば、三沢のF16は「地の利を知り尽くした精鋭部隊」というわけで、それがイラク戦争での航空攻撃の中核を担うという状況を生んだと考えられる。六機と支援要員の半数(約二百人)は四月二十四日に三沢に帰還した。 |