2002年11月22日(金) 東奥日報 ニュース


■ 青森で「縄文フォーラム2002」

 中国内モンゴル自治区の興隆溝(こうりゅうこう)遺跡で進められている日中共同研究をテーマにした「三内丸山遺跡・縄文フォーラム2002」(県教委と東奥日報社などでつくるフォーラム実行委主催)が二十二日、青森市の国際ホテルで開かれた。メーンのパネルディスカッションでは、二年間の共同研究で浮かび上がった中国東北部の先史文化と三内丸山など北日本の縄文文化との類似性や相違点について、熱心な議論が展開された。

 十一回目となる今回のタイトルは「北からの波動〜大陸と北日本の交差点・興隆溝遺跡から見えてきたもの〜」。会場には約四百人の考古ファンたちが詰めかけた。

 実行委員長の佐々木高雄東奥日報社社長は「興隆溝では新たな成果が次々得られ、青森と中国がますます近づいた。皆さんを『北の回廊』というロマンの世界に導きたい」とあいさつした。

 はじめに、三内丸山遺跡の本年度の調査状況について、県教委三内丸山遺跡対策室の佐々木雅裕主事が「環状配石墓が新たに六基見つかった上、『墓の道』の両側に存在することが確認された」と報告した。

 続いて同対策室の斎藤岳総括主査が、興隆溝の今年の発掘成果についてスライドを交えながら報告。新たに見つかった十一軒の住居跡や十七体の人骨、縄文時代のものと類似した玉製のさじ型ペンダントや指ぬき型耳飾りなど貴重な遺構・遺物の数々を紹介した。

 パネルディスカッションでは、文化庁記念物課の岡田康博文化財調査官を進行役に、共同研究の日本側メンバーである奈良文化財研究所の岡村道雄協力調整官、東北大大学院の鈴木三男教授、国立歴史民俗博物館の西本豊弘教授、同博物館の辻誠一郎助教授、東北学院大の佐川正敏教授が意見交換した。

 鈴木教授と辻助教授は住居跡で確認された炭化材などから「興隆溝は森林に支えられた遺跡だった」と語った。また、西村教授は動物の骨の中にイノシシとブタの両方が見つかったことから「狩猟の一方で家畜を飼育するという“半農半猟”の生活だったのでは」と話した。

 ◇

 七千五百年前の興隆溝(こうりゅうこう)を支えたのは、三内丸山と同じ緑あふれる森の文化だった−。二十二日開かれた「三内丸山遺跡・縄文フォーラム2002」第三部のパネルディスカッションでは、六人のパネリストが中国内モンゴル自治区・興隆溝遺跡での二年にわたる日中共同研究から見えてきた「自然と人のかかわり」を中心に話題を展開。豊かな森の恵みを背景に「半農半猟」ともいえる生活を営み、天の神を崇拝し、階層社会を維持した興隆溝びとのダイナミックな姿を浮き彫りにした。

 住居跡から出土した炭化植物の分析結果から「興隆溝の周辺には広大な森が広がっていた」としたのは、東北大学大学院の鈴木三男教授(古植物学)。鈴木教授は具体的な樹種としてニレ、ナラ、カシワなどの落葉広葉樹を挙げ、「三内丸山など北日本の縄文遺跡と同様に、森に支えられた文化だったのだろう」と推測した。

 花粉分析で知られる国立歴史民俗博物館の辻誠一郎助教授(環境史)は、中国の最新データを基に興隆溝を含む内モンゴル一帯の自然環境の変化を説明。「特に、五千−四千年前は森林の要素が際立っている。これは三内丸山の存続期間(約五千五百−四千年前)と見事に一致する。現在の乾燥した風景とは違って温暖で湿潤な土地だったのだろう。では、その前の興隆溝はどういう状況だったのか? 当時の自然環境を総合的に調べることで家畜の飼育や栽培の有無も見えてくるのではないか」とした。

 また、同博物館の西本豊弘教授(動物考古学)は住居内から大量に見つかる石皿と動物の骨に注目し、「七千五百年前の時点で、興隆溝びとは『半農半猟』のような生活を営んでいたのではないか」と初期的農耕の存在に言及した。

 その上で、西本教授は「日本列島には縄文前期(約六千−五千年前)に新しい文化が外部から流入し、それが三内丸山のような豊かな文化を築き上げたと考えられる。興隆溝のような大陸文化と比較することで、縄文時代の植物利用や家畜飼育の可能性も調べられると思う」と続けた。

 ◇

尾上町・山谷さんの絵、来場者を魅了

 縄文フォーラムの会場ロビーには、八月の遺跡発掘ツアーに参加した尾上町在住の墨絵画家山谷芳弘さんの墨彩画や抽象画六点が展示された。参加者は写真とはひと味違う描かれた“古代の姿”に熱心に見入っていた。

 発掘調査団がいる室内を興隆溝の人々が窓からのぞいている墨彩画に見入っていた看護師の福田美知代さん(51)=青森市南佃二丁目=は「現場の熱気が伝わり、声まで聞こえてきそう」と、気に入った様子。「絵は現地を見た人の目を通しているので、一層深い感動を味わえますね」と笑顔で話していた。

 塾を経営する和田陽太郎さん(73)=同市奥野四丁目=は「子供のころは三内丸山でよく土器を採集した。現地の空気を伝える絵を見ると、中国にも行ってみたいと思う」と、大陸へのロマンをかき立てられたよう。

 また、同市の自営業の五十代男性は、絵の細部に見入りながら、フォーラムで聞いた埋葬の状況や自然環境に関する意見について考えを巡らせていた。縄文世界と大陸の先史文化との関連をイメージさせる明るい色調の抽象画の前で、「ちょっと不思議なこの絵を見ていると、やはり三内丸山遺跡と興隆溝遺跡はどこかで接点があるんだろうと思ったりする…」と、想像を膨らませていた。

次へ

HOME