2000年6月21日(水) 東奥日報 ニュース


■ 八戸・是川遺跡で朱色の漆皮膜

写真  八戸遺跡調査会が発掘を進めている八戸市の是川中居遺跡・長田沢地区でまとまった遺物の包含層が確認され、鮮やかな朱色の漆の皮膜も出土するなど、縄文晩期の土器捨て場の存在がほぼ確実になった。同遺跡では大正期以降、断続的に何度もの発掘や調査が行われているが、学術的な調査が手付かずの遺物出土区域に届いたのは初めて。

 新たな土器捨て場とみられる遺物包含層が見つかったのは、長田沢地区の南東部分、東西約三メートル、南北約二メートルの区域。十九日までに縄文晩期の中ごろから終わり、約二千六百年前から二千五百年前の遺物が出土していた。二十日の調査で新たに晩期中ごろを主とする遺物の層が確認され、遺物包含層が少なくとも四十−五十センチに達していることが分かった。

 また、この日出土した漆の皮膜は約十五センチ四方程度の大きさで、漆塗りの木製品を覆っていたものとみられるが、元の製品の形や大きさはまだ分かっていない。発掘の事務局を務める八戸市教委文化課は二十一日以降、より詳しく調査を進めることにしている。

 是川中居遺跡は一九二〇(大正九)年に泉山岩次郎・斐次郎兄弟が発見して以来、多くの地点で断続的に発掘や調査が行われてきた。しかし、古い時期の発掘は学術的な手法によるものではなく、おびただしい遺物の出土状況は分かっていない。昨年、調査が再開された特殊泥炭層部分も、約七十年前に初の学術調査が行われた時点で、既に発掘の手が入っていた。手付かずの区域でまとまった遺物包含層に調査の手が届いたのは、遺跡内で長田沢地区が初めてになる。

 八戸市教委文化課の工藤竹久副参事は「特殊泥炭層は晩期初めの遺物が主だが、長田沢地区で時代が異なる土器捨て場が確認されたことは、遺跡の性格を知る上で大きな手掛かりとなる」と話している。

※写真は新たに確認された是川中居遺跡・長田沢地区の土器捨て場


HOME