| 2000年8月28日(月) |
![]() | 第3号 |
【鶴田町胡桃館小六年・松山佳子】 立佞武多(たちねぷた)勇壮に出陣。津軽の夜を彩る立佞武多の運行が八月四日から八日までの五日間、五所川原駅前を中心にした一・五キロのコースで盛大に行われた。まつりの前半は雨にみまわれたものの、後半は天気にめぐまれ、お客さんの数は過去最高。運行台数は大型三台、中型二台、小型三台とこれも過去最高だった。立佞武多は今から約九十年前の明治末期、高さ二十メートルの巨大な人形ねぷたとして五所川原の町をいせいよくねり歩いた。しかし、電気の普及で電線などが障害になり高さが低い形に変わった。平成八年に市内有志が立佞武多を復元、まつりも復活し全国的な反響を呼んだ。
電線が地下に埋められ、現在のような運行形式になったのは一昨年から。メーンの立佞武多のテーマは一回目が「親子の旅立ち」、二回目が「鬼が来た」、そして今年は同市出身の名大関清水川を題材にした「軍配」だ。製作にたずさわった大工の竹内義博さんは「三回目なので作業の段取りが分かり、スムーズに作業が進んだ。これまでのものより丈夫で、しっかりしたものができた」と話していた。 宮城県多賀城市から見に来た赤坂富雄さんは「昨年のニュースで二十二メートルもあるねぷたと聞いて、一度見たかった。仙台の七夕まつりとは比べものにならないほどすごい。すばらしい。来てよかった」とおどろき、「これだけのまつりだからもっと宣伝してもいい」と感想を述べていた。 まつりの運営について同市経済商工課の三上真輝主幹・課長補佐は「三回目を迎え、いくらか定着してきたかな、といった感じ」と手ごたえを感じている様子。今後の課題については「伝統として次世代に伝えていく難しさがある」。また観光客が増えている半面、ねぷた製作に参加するボランティアの数が減ってきており、これをどう食い止めるかも課題だ。 三上補佐は「八十年ぶりに復活した郷土のまつりが、課題を乗り越え、人々の情熱によって二十一世紀に受け継がれることを願う」と熱く話してくれた。 ※写真(右)は今年新たに製作された大型立佞武多の「軍配」 ※写真(左)は立佞武多製作について松山記者の取材を受ける竹内さん(右)
【浪岡町本郷小五年・阿部夕紀】 浪岡町吉内にすんでいる津川武七さん(77)は、全国に名が知られている本郷凧(たこ)の職人だ。津川さんを取材してみた。津川さんの家の玄関に入ると本郷凧が二枚かざってあった。奥の和室には、半紙の大きさのものから、たたみ一枚分の大きさのものまで本郷凧が何十枚も所せましとならんでいた。すごい迫力だ。家がせまいので、凧の骨組みは倉庫で作り、色ぬりなどはたたみの部屋で行っている、という。たたみの部屋には赤い絵の具やぼくじゅうのあとがついていた。
凧は、父親から教えてもらい小学四年生ごろから作りはじめたそうだ。「当時は一枚つくるとおこづかいがもらえたので、おこづかいのためがんばって作った」と笑いながら話してくれた。これまで作った中で一番大きな凧は、たたみ十枚分もあるそうだ。その凧は本郷凧の会の会員が保管している。この会は、地いきの人たちが力を合わせて、本郷凧の伝とうを守っているのだそうだ。津川さんは、凧作りについて「一番大変なのは骨組み。ここが一番だいじなところ。しっかり作らないと、凧がちゃんと飛ばない。一番楽しいのは、作ったあと飛ばすこと。凧はかざるためにあるのではなく、大空に飛ばしてこそ本物の凧になる」と熱く語る。 津川さんは本郷小でも凧作りを教えている。「地域の子供たちが本郷凧に少しでも関心を持ってくれたらうれしい。本郷凧を後世に残していってほしい」と津川さんは話している。 ※写真(右)は自作の本郷凧を手にする津川さん ※写真(左)は児童に本郷凧の作り方を教えている津川さん
【大間町大間小五年・熊谷理加子】 大間町では七月二十日の海の日に、ユニークな祭りである海上守護神「天妃様(てんぴさま)」のお祭りが行われた。盛大に行列をくみ、爆竹を鳴らして町内を練り歩いた。天妃様はいつ、どこからきて、なぜまつられたのか。祭りのときなぜ爆竹を鳴らし、大きな鬼がなぜ参加するのか−。不思議に思ったため、大間稲荷神社の氏子総代さんに聞いてみた。それによると天妃様は一六九六年、大間村の名主伊藤五左衛門が海で遭難したとき、天妃様にお願いしたところ、天妃様が現れて助けてくれた。このことはその九十七年後に大間を訪れた紀行家菅江真澄の天妃縁起に書かれている。 五左衛門は茨城県那珂湊にまつられていた天妃様を自分の屋敷にまつった。これが大間に来たはじまりで、現在は大間稲荷神社にまつられている。天妃とは中国の皇帝からの贈り名の一つで、長い間、海上安全を願う漁民たちに信仰されてきた。 中国福建省で誕生したこの信仰は中国、台湾、東南アジアなどで信仰を集め、日本には江戸時代前に伝わった。日本では現在、十五カ所でまつられ、東北・北海道では大間だけにまつられている。 祭りの行列には千里眼と順風耳という鬼が加わっている。昔、まちで暴れていた鬼に催眠をかけたところ降参し、天妃様の家来になりいろいろ手助けした、といわれる。平成八年七月、大間に天妃様をまつって三百年がたったため三百年祭を行い、天妃様のご神体を一般公開した。また境内に五左衛門の顕彰碑を建てた。 中国から渡ってきた神様という縁から、台湾の北港朝天宮から新しい天妃様や、みこし、行列用品、千里眼、順風耳などの人形が贈られてきた。こうして天妃行列が始まり、蛇踊りや、どらの音を響かせ、耳が痛くなるほど爆竹を鳴らして、海上安全悪魔払いをしながら町内を回っているのである。 新しい天妃様は今、いつでもお参りできるように、神社隣の天妃々にまつられている。 ※写真は天妃行列の一員として大間の町を練り歩く千里眼(手前)と順風耳(奥)の鬼たち
【青森市橋本小六年・小関泰輔】 青森市本町を歩くと、まちかどのあちこちに昔の町名を書いた標柱を見つけることができる。これは、青森市が歴史や文化を次世代に伝えたい、と立てたものだ。現在の本町は、昔の大町、浜町、米町、塩町、博労町などで昭和四十三年、町名改正で本町一−五丁目となった。 標柱を立てた理由について青森市企画調整課は、「町名改正をしても、本町ではなく旧町名で呼ばれている。住んでいる人々がその土地に誇りや愛着を強く持っているということのあらわれだ。次世代にも、当時の歴史や文化を伝えていきたい、という思いで、平成五年から三年間かけて本町を中心に標柱を立てた」と説明する。 大町と呼ばれていた時代から店を開き、青森市では一番古いといわれる金沢表具店三代目のおじいちゃんに話を聞くことができた。 それによると大町は明治二十四年の東北線開通後、青森駅が安方に設けられてから青森の繁華街となり、銀行、会社、大商店が建ち並んだ。カネ長呉服店(現青森ビブレ)は新町に移りデパートとなったが、戦前までは大町で商売していたという。 だが、戦争で町がみんな焼けてしまい、戦後、新町に中心が移ってからはだいぶ様子が変わってしまった。「当時あんなににぎわっていたのに、だいぶさびしくなりましたね」とおじいちゃんは、しんみり語ってくれた。 当時のことを知る人がだんだん少なくなった現在、当時の様子を伝えるべく標柱は、あちこちで静かにたたずんでいる。 ※写真は県立郷土館の前に立っている旧町名「大町」の標柱。大町についてのかんたんな説明文がきざまれている
【平内町浅所小六年・佐野歩惟、三津谷浩子、垂井恵美】 私たちが住んでいる平内町には、たくさんの白鳥が飛んで来る。浅所海岸に飛んで来た最高の数は、昭和四十一年一月の千百二十二羽。浅所小では、この白鳥を守るため四十五年間も白鳥観察を続けている。白鳥観察を始めたきっかけは、“白鳥おじさん”と呼ばれていた畠山さんが昔、白鳥を見て「これは人間が守っていかなければならない」と思って、え付けを始めたこと。これを見た同小児童は、え付けを手伝い、それから白鳥観察を始めるようになった。 白鳥はさまざまな人たちによって守られている。今でも毎年えさ代を送ってきているのは松波夏子さん。昭和四十六年、冬の寒さで海岸付近の海がこおってしまい、白鳥がえさをとれず何羽も死んでしまった、という新聞記事を見た松波さんは、名をかくしてえさ代を送ってくれた。青森銀行やライオンズクラブからも、たくさんのえさ代をもらっている。 しかし、観光客が増えるにつれてごみも増えてきた。そこで同小では、海岸や駐車場の清掃活動を始めた。たくさんのたばこのすいがら、缶、びん、スナックがしのふくろなどをひろった。 清掃活動をした十一人の児童にインタビューしてみたところ、ほとんどの人が白鳥を「かわいい、じまんできる」と答え、清掃活動についてもほとんどが「ごみが減りきれいになって、白鳥がすみやすくなったと思う」と述べた。 浅所小では、これからも白鳥観察や清掃活動を続けていくことにしている。 ※写真は平内町の浅所海岸に飛んで来た白鳥の親子
【八戸市三条小六年・竹浪万貴】 八戸市でクジラの化石が発くつされ、同市の児童科学館に展示されている。昨年十二月のクジラ展には約千二百人がおとずれ、市民の関心を集めていた。このクジラの化石は、塾の先生をしている田端健さんが昨年五月五日、同市尻内町で見つけた。子供たちに化石を見せたいと思い、探しているうちに見つけた。発くつしているとき見学会が開かれ、小・中学校から約二百八十人が見学に来た。
児童科学館館長の藤井暎也さんによると、今回のクジラの化石は、いままで見つかったものと違い、骨どうしがつながって出てきた。三百六十万年ぐらい前のもので、体長二十メートルぐらいのクジラとみられる。クジラの化石は、八戸市ではこれまで六カ所で見つかっていた。クジラの化石は粘土のようにやわらかいという。このためまわりの土もいっしょに取ってきて、しばらくかんそうさせ、五カ月かけて砂を落としたという。この砂を落とす作業にたくさんのボランティアが手伝いにきてくれた。 ※写真(左)は児童科学館に展示されているクジラの化石 ※写真(右)は中学生も参加して行われたクジラの化石の発くつ作業=八戸市尻内町正法寺
【八戸市白鴎小六年・佐々木広美】 八戸市白銀町にある清水川のわき水は、今でも飲み水や洗濯などの生活用水として利用されている。清水川は、今から千二百−八百年ぐらい前からわいていた、といわれる。白銀地区は地ばんが固く、井戸をほってもなかなか水がわかなかったため、清水川のわき水は大変貴重なものだった。 毎日の生活の中で、水くみはとても大切な仕事で、小学六年生ぐらいになると、てんびんの両側に大きなおけをつるし、水くみを手伝った。水くみはとても大変な仕事だったので、当時の人々は「白銀には嫁をやるな」と言っていたという。 水道がひかれてからも、なぜ地域の人たちは清水川のわき水を利用しているのだろうか。利用者に聞いてみたら「清水川のわき水で入れたお茶は、大変おいしいし、洗濯も広い所で洗えてきれいになるから」という答えがかえってきた。 そして「白銀の人々はこのわき水のおかげで生活してこられた。これからも、今のきれいな清水川を守ってほしい」と話していた。 ※写真は清水川のわき水で洗濯をしているおばあさん
【浪岡町本郷小五年・間山美咲】 浪岡町の本郷小学校で七月七日、「先生の手を借りないで何でも自分たちの力でやろう」を合言葉に、校庭で全校キャンプを行った。参加した児童は七十八人。班ごとに、高学年を中心に汗びっしょりになり夕ご飯づくり。食後、キャンプファイヤー、きもだめし…と続いた。 先生たちによるきもだめしは、理科室、体育館、音楽室などを通り、最後になかよしホールで校長先生からアイスクリームをもらって帰る−という設定だ。 まっくらな学校の中を高学年をせんとうに入っていった。校内からは、大きなひめいが続いた。きもだめしもぶじに終わり、ねる時間になってもなかなかねむられない人もいて、長い夜をすごした。
翌朝四時ごろになると、ほとんどの人が起きはじめたが、五時半ごろからポツポツ雨。そして、あっという間に大雨になった。いそいでテントをかたづけ学校の中にきんきゅうひなん、朝ごはんは学校の中ですませた。家に迎えを頼む人もいた。 たいへんなキャンプだったが、すごく楽しく、それぞれの心に残るキャンプとなった。 以下に、参加者の感想を紹介してみる。 「きもだめしがちょっとこわかった」(一年・須藤なつき)「ねていた時が一番楽しかった」(二年・清水しょうた)「きもだめしがすごく楽しくてよかった」(一年・成田みよ)「自分たちで作ったごはんがすごくおいしかった」(二年・間山ともみ) 「パラパラのおどりがはずかしくてたまらなかった」(三年・佐々木ゆきこ)「きもだめしで理科室に入ったとき、先生がトイレットペーパーを体中にまいておどかしてきてこわかった」(五年・間山みさき) ※写真(右)は、はんごうを使って、まきでごはんをたく児童たち ※写真(左)は、自分たちの力でテントをはる
キャンプでは、楽しくスイカわりや川遊びをした。 このキャンプを考えた矢沢子供会会長の橋本道幸さんに、子供会についていろいろ聞いてみた。
−子供会は、どういう目的でつくられているのですか?「子供どおしの友好と親ぼくを大事にするため」 −どんな子供会にしていきたいですか? 「子供たちの友情の輪を大事にできるように、また自主的な心を持てるような子供会にしていきたい」 −これから、どういう活動をしていくのか 「子供たちがいままでに体験ことを行っていきたい」 −活動目標は? 「みんなが楽しく遊べ、自分がいやなことは他人にもやってはいけないことや、いやな時でも他の人のことを考えて協力する心を育てていきたい」 キャンプでは、橋本さんがいろいろ考えてくれた行事をみんなが楽しんでいるすがたが見られた。橋本さん、これからも子供会を支えてがんばってください。 ※写真はスイカわりの後、甘いスイカを食べる子供たち
【浪岡町女鹿沢小六年・対馬淳美】 県教委は八月三−五日の三日間、青森市の県総合学校教育センターで子ども科学体験塾を開いた。開塾式では、竹内事務局長が「ものづくりの楽しさを学んでいってください」とあいさつ。男女二十人の参加者が、黒い線の上を自動的に走るロボットのライントレーサーの制作にとりくんだ。 宿泊先の県青年の家では、初めて会った仲間とも仲良くなり、天体観測なども行った。 最終日の五日には、八戸市で開かれた「あおもり青少年科学セミナー」に参加し、科学の楽しさをアトラクションやものづくりで体験し、参加者は「すごい、すごい」の連発だった。 セミナー終了時には、全員に修了証書が手わたされた。参加者は「三日間で中のよい友達のようになれてうれしかった」「ライントレーサーは、うまく動いてうれしかった」となどと話していた。 ※写真はロボットのライントレーサーの製作にとりくむ参加者たち
【青森市幸畑小五年・小泉猛】 県水産部は七月二十六、二十七の両日、県内の小学生四十人を集めて自然学習塾を深浦町の岡崎海岸などで実施した。これは、「多種多様な水産生物を知り、生命を尊ぶ心を養うこと」を目的に開かれた。 一日目は、アラスカ大学で文化人類学を学んだケビン・ショート氏が、磯(いそ)の生物観察を指導。またライフジャケットを身につけて実際に海に入り、生物を採集した。 二日目は、地引き網の体験。魚がかかっていたが、網の引っぱり方をまちがえて、一ぴきの魚しかとることができなかった。また、海藻を採集し、記念に標本づくり。最後に県栽培漁業センターを見学した。 ※写真は自然学習塾で海藻でつくった「しおり」 |