| 2000年1月31日(月) | ![]() | 第2号 |
【五所川原南小五年・斎藤麻南】 今年は子ども読書年。そこで今の小学五、六年生はどんな本を読んでいるのか、本にかかわる大人たちは、どんな本を子どもたちに読んでほしいのか、調べてみた。 まず小学生三十三人に好きな本を三冊あげてもらった(表1)。この表を見るとまんがの数が圧倒的に多い。この結果を持って鶴常書店、成田本店、県立図書館、そして絵本専門店のアイウエオの木へ取材に行った。 それぞれの人気のある本と読ませたい本は表2の通り。そして取材した人たちに、小学生の結果についてきいてみた。 ▽鶴常書店児童書担当の国方推子さん まんがには人をひきつける力があるし、おもしろい。けれど、そのまんがだけで終わらないで、関連した本も読んで世界を広げていってほしい。 ▽成田本店児童書担当の遠島恵美さん まんがを読むことは悪いことじゃないと思う。 ▽県立図書館児童室の伊藤三千代さん まんがだから悪い、本だから良いというわけではないと思う。私自身は小学生のころ「小公女」が大好きだった。セーラが必死になってがんばる姿に本当に感動した。こんな本に出合えるとうれしい。 ▽アイウエオの木の大友栄子さん 今の子には本を読む力があるのに、その力を使わないのが残念。本の入り口が分からないのかも。そんな子に大人は、高学年だからと、厚い本ばかりすすめてしまう。その子はその子なりに楽しめる本はあるはずだし、いくつになっても絵本を読んでいていいと思う。例えば、まんがの好きな子には「タンタン」シリーズや「落語絵本じゅげむ」、いたずらっ子には「いのちのつながり」「マクスとモーリッツのいたずら」などがある。 私は「赤毛のアン」シリーズの新しい本が出てくるのを、毎日楽しみにしていたものだった。友達と貸し合いながら読んだのを今でもはっきりおぼえている。学校の教室のとなりに小さな図書館があって、そこがまるで自分の部屋のように思えた。今年は子ども読書年であり、絵本が出版されてからちょうど百年目。子どもたちの身近に本があり、どんどん手にすることができればいいなと思う。特に高学年は一番本が読める時。今のうちに本をたくさん読んで心を豊かにしてほしい。
木村さんの家は代々津軽塗職人。木村さんは五代目にあたり、父正男さんとともに製作している。木村さんは、津軽塗職人の中では、おそらく一番わかい職人で、三十四歳だ。
−津軽塗はいつから始めたのか。「十八歳から。感じがつかめるようになったのは十年目くらいからだ」 −とくにむずかしいと思うところは? 「塗り物に使うウルシは生き物なので、季節や温度、天候などによって考えながら使っていくところがむずかしい」 このウルシは九○%、中国から輸入している。あとの五%は東南アジアから、残りの五%は日本のものだ。質のいい日本のウルシは、しあげに使っているそうだ。 −作品を作るとき参考にしているものは? 「ほかの工芸品はもちろんだが、目に入るものすべてが参考になる。ほんの数秒のテレビコマーシャルだって、目が引きつけられてひらめくときがある」 伝統工芸の世界では、後けい者問題が、深こくになっているが、津軽塗もその例外ではない。 木村さんは高校卒業後、石川県輪島にある塗り物の学校で、三年間勉強した。同校は今では、全くの未経験者でも年齢に関係なく入学できるそうだ。 また、津軽塗を広く知ってもらうために、ビデオを作製することになったそうだ。学校やその他の施設で利用できるようになる。 最後にこれからの目標を木村さんに聞いた。 「自分のイメージどおり作れたときは最高だ。自分らしい、自分しかできないもの、独特な津軽塗をつくりたい」 ※写真は津軽塗のおぼんにみがきをかけているところ
大人服はトレーナー系=写真1=が売れている。なぜなのか聞いてみると、「冬休みなので、やっぱり着やすい服で、カジュアルなスタイルが売れていますね」ということだった。 そのほかにも、デニム裾(すそ)モチーフ使いパンツと言って、ししゅうがズボンに入っていたり、ズボンの下の方に花のかざりがついていたりと、いろいろあった。コート系では、ファーがついているものが多い=写真2。 次は子供服だ。子供は、買うときにやはり大人(中高校生)服と比べてしまう。このため子供にも大人と似たような服、ズボンが売れるようだ。 例えば、大人服にもあったデニム裾モチーフ使いパンツ。これににたブーツカット=写真3=のズボンがはやっている。これは、ズボンのまん中へんからだんだんはばがひろくなっていくズボンだ。コートはダッフルコート=写真4=がはやっている。 そして、今はやっている服の色は、こい色系。これからはやりそうな色は、明るいパステル系だ。 それから、子供だけの服にキャラクター物がある。大人服にはないのが印象的。今はやっているキャラクターは、ぶるぶるドッグ、たれぱんだ、スヌーピーだ。
【青森市幸畑小六年・蛯澤隆宏】 青森市のあおもり健康ランドで一月九日、特別公演をした「南條劇団」の団員らに、劇団がどのように運営されているのかを取材した。劇団員は、親だったり、子役の募集で入団した人だったり、親子だったり−とさまざまだ。 大座長の南條時宏さんは、五十年もやっている大ベテラン。劇団員には、座長の駒三郎さんをふくめ時宏さんの息子さん、娘さんが五人もいた。 こどものときから団員だった時宏さんは、芝居をやるところに旅をしているので、学校は転校ばかりしていた、という。今は、すぐ転校できるが、昔は教育委員会が抗議したりして大変だったそうだ。 普通のこどもたちは六時間の授業をうけるが、団員のこどもは、芝居やけいこをやらなければならないため、学校に行っても授業は一時間だけとか、給食を食べるまで−の繰り返しだった。このように、芝居をやっている劇団のこどもたちは、普通のこどもとはちがう、仕事をしているのだ。 また、劇団は、ひとつの家族みたいなもので、知り合いや友達が多くでき「芸は身を助ける」ようだ。劇団の芸を学ぶことは、歴史を学ぶこととにている、という。 公演はレジャーしせつ、ホテルなど。けいこをやる時間はあまり決まっておらず、覚えのおそい人は、覚えのよい人よりも早くけいこを始め、本番にのぞむなど、それぞれ努力を重ねているそうだ。 ※写真は「南條劇団」の公演の様子=あおもり健康ランドで
【八戸市白山台小六年・若佐祐哉】 八戸市の街には、八戸藩の名ごりがたくさんある。現在使われている町名もその一つだ。市は、町名の由来などを説明する「史跡等標示説明板・標柱」を各地に立てており、当時をしのばせてくれる。昔の名ごりは、例えば一日町(ついたちまち)、三日町(みっかまち)などがある。中でも六日町(むいかまち)はおもしろい。六日町は昔「肴町(さかなまち)」と言われていた。当時、肴町は、魚の独占販売権が認められていたことから、その名がついた。 ほかにも十六日町(じゅうろくにちまち)は昔、「馬喰町(ばくろうまち)」と呼ばれていた。馬を販売する人や、交かんする人が多く住んでいたことからつけられた。 八戸藩の城下町は、寛文四(一六六四)年に八戸藩ができる前に、すでにだいたいの町割りができていた、といわれている。 ※写真はイトーヨーカドー八戸店の裏にひっそり立っている十六日町の標柱
【青森市浦町小五年・当麻絢子】 開局八年目の青森ケーブルテレビを訪ね、「わいわいラウンジ」放送中のスタジオを取材した。また放送課長の石井啓之さん、営業企画課長の工藤峻之さんに話を聞いた。「わいわいラウンジ」は青森市内の身近なできごと、イベントや生活情報などについて紹介している番組だ。放送中のスタジオにはキャスターが二人、リポーターが一人のほか、カメラそう作の人が一人いた。調整室ではディレクターの石井さんと音声の人が二人で時間の調整などをしていた。 ほかのテレビ局との違いは、例えば地域の取材はひとりでカメラマン、インタビュー、記事を書く、テープの編集など、何役もしていることだそうだ。取材の情報は視聴者からの手紙や町を歩いて気になることなど、スタッフで相談して決めている。 これからの計画については「ケーブルテレビでは毎年ねぶたや花火の生中けいをしているが、これからはそのほかにも生中けいの番組を増やしたい。そして今年からはインターネット事業を始める」と話してくれた。 ※写真は「わいわいラウンジ」放映直前の青森ケーブルテレビのスタジオ
【八戸市立白山台小六年・藤井康礼・小野寺敬】 子どもの好きなアニメ映画ができるまでと、上映の苦労について調べてみた。アニメ映画は最初に原作の小説からシナリオを書くためキャラクター表を決める。そしてストップウォッチで場面を想像しながら時間を計り、物語のぶ台になる風景などと色彩設定も定めるという作業をする。次にせりふ、動作、カメラワーク、秒数、しじを書き込む。これを絵コンテという。絵コンテに従いレイアウトし、原画を描き、さつえいもへんしゅうもする。 最後にフィルムにまとめ、声ゆうの声を入れて放映する。 八戸市内の映画館で話を聞いた。放映する時はフィルムがちゃんとはいっているか気をつけ、でんげんが入っているかを確認する。 上映は二つの映写機で交代しながら行っている。フィルムは、東映など、東京からセールスが来る。値段は高いと百万円、安くて三十万円。何時ぐらいにお客さんが入るかというと、アニメは午前九時から九時半、大人は昼ごろからだ。 きっぷ売りや上映を一人でやっているので大変だという。 ※写真は映画の映写機
【八戸市白銀小六年・森沢沙野香】 三年生の時に聞いたモンゴルの音楽が心の中に残っていたので、昨年九月にモンゴルを訪れた笹森建英(けんえい)元弘前大学教授に、モンゴルの音楽について取材した。 ケトル・ドラムは昔、戦争の合図やいたこ(亡くなった人のたましいを呼ぶという意味)の儀式に使っていたもの。タンブリンを大きくしたような形で直径は一メートルぐらいある。 リュートの弦の数は三味線と同じ三本だ。弦をはじいたり、指で弾いたりして音を出し、歌の伴奏に使う。 馬頭琴(キル・クール)は弦が二本で、その弦と弓は馬のしっぽを何本かたばねてある。音の出し方は両ひざにはさんで構え、左手で弦を押さえ右手で弓をもって弾く。音は馬の声か、走っているパカパカという音。楽器の先端部分には馬の形がほってあって、その下にりゅうの彫刻がほってあり、バイオリンのような形だ。これもリュートと同様、歌の伴奏などに使われる。 その歌い方の一つに、ホーミーというものがあり、男の人の、のどをつまらせた高い声をいう。音階はドレミソラの五音階で音域は広くない。歌詞は恋愛か神様を呼ぶためのじゅ文のようなものが多い。 このようなモンゴルの音楽の多くは、中国文化かトルコ文化を受けついで発展していったものだそうだ。 |