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白神山地のブナ林が形成されたのは、埋れ木の調査などから、ウルム氷河期が終わり気温が次第に上がってきた9000−8000年前ごろから、とみられている。 白神山地は、行政的には青森県側が岩崎村、深浦町、鯵ケ沢町、西目屋村、秋田県側が八森町、峰浜村、藤里町などにまたがっている。このうち、とくに原生的な環境が維持されている笹内川(岩崎村)、追良瀬川(深浦町)、赤石川(鯵ケ沢町)、岩木川源流の大川(西目屋村)、粕毛川(藤里町)の流域を林野庁が1990年、森林生態系保護地域に設定した。同地域では営利的な森林施業ができない。保護地域は約1万6971ヘクタール。このうち、全くの手付かずで残す保存地区は1万139ヘクタール、保存地区の外側を取り囲む緩衝帯として位置づけられる保全利用地区は6832ヘクタールとなっている。保護地域のうち青森県側は岩崎村、深浦町、鯵ケ沢町、西目屋村の1万2631ヘクタール、秋田県側は藤里町の4340ヘクタールとなっている。 ユネスコは1993年、白神山地を世界遺産に登録したが、その登録区域は、森林生態系保護地域と同じである。 白神山地は、最高峰が向白神岳の1250メートルと高くはないが、山全体がササやぶで覆われ道があまりついていないことや、谷が急峻なことから、以前はマタギなど山で生活している人やごく一部の登山者、釣り人ぐらいしか入っていなかった。そもそも白神山地自体が無名で、多くの人は見向きもしてこなかった。しかし、世界遺産に登録されてからは、全国各地から多くの人が訪れるようになった。
固有植物の代表的なものはアオモリマンテマ(ナデシコ科)だ。また、白神山地で唯一「白神」の名を冠したシラガミクワガタ(ゴマノハグサ科)も白神山地を代表する植物だ。白神山地の周辺部などにも分布する準固有植物としてはツガルミセバヤ(ベンケイソウ科)、オガタチイチゴツナギ(イネ科)、ミツモリミミナグサ(ナデシコ科)などがある。高山植物で特筆されるものとしてはリシリシノブ(シダ植物)、ハイマツ(マツ科)、シコタンソウ(ユキノシタ科)、チシマフウロ(フウロソウ科)、エゾノハナシノブ(ハナシノブ科)などが挙げられる。 動物では、ほ乳類の代表的なものはツキノワグマ、ニホンザル、ニホンカモシカ。クマはマタギの獲物の中心だった。マタギは「熊の肝(い)」や毛皮を売って、生計の一部にしてきた。鳥類では、天然記念物のクマゲラやイヌワシが生息している。シノリガモは、1976年に赤石川上流で親子連れが見つかり、これが国内では初の繁殖確認となった。今では赤石川のほか大川(岩木川源流)、追良瀬川などでも親子で渓流を泳いでいる姿を見ることができる。 昆虫類は、ゴミムシなど白神山地で初めて見つかった昆虫が多い。全国的に採集例が極めて少ないが白神山地に生息している昆虫は、ニトベギングチバチだ。このハチは、ガを捕まえてブナの枯れ木の巣穴に運び込み、そのガに産卵する習性がある。
青秋林道は、
まず敏感に反応したのが、秋田県の保護団体だった。「林道は青秋県境を通ることになっているが、土砂が粕毛川(秋田県側)に流入する恐れがある。そうすれば、生活用水に支障をきたし、ダムの能力が低下する。自分たちの水を守らなければならない」と立ち上がり1982年5月、関係機関に林道の見直しを求めた。水を守ることを柱に、ブナ原生林の保護を訴えたのだった。青森県側はこれに呼応し同年7月から保護運動を始めた。 両保護団体の主張は
日本自然保護協会は、両県の保護団体を応援し、全国的な保護運動を展開しようと取り組んだが、ブナ原生林を残してほしい、という訴えは決め手を欠き、行政側は着々と林道工事を進めた。 手詰まり状態の保護運動だったが、この時期、運動に勢いをつける二つの大きな出来事が起こった。 その一つは1985年、秋田県がルートを変更したことだった。青秋林道の秋田工区は当初、県境尾根づたいに通る予定だったが、
もう一つの出来事は1983年10月、白神山地中核部の櫛石山南ろく(赤石川流域)で、秋田県庁に勤務している泉祐一さんが、国の天然記念物のクマゲラを発見したことだった。白神山地の原生林でクマゲラが見つかったのはこれが初めてだった。これを契機に、手詰まりだった運動は攻勢に転じ、クマゲラは白神保護運動のシンボルとなった。保護団体はこれ以後、「クマゲラを守れ」とクマゲラを全面に出して運動を展開した。 青秋林道問題が急展開したのは、水源かん養保安林の解除だった。前述のように秋田工区はルート変更の結果、鯵ケ沢町の赤石川源頭を通ることになった。そこで工事を進めるためには、水源かん養保安林の指定を解除しなければならない。
そして同協議会は、保安林解除に対し、異議意見書を集める、という作戦に出た。その結果、約1万4000通という、わが国林政史上空前といえる異議意見書が集まり、青森県に提出した。 この動きに柔軟に対応したのが北村青森県知事だった。知事は1987年11月「青秋林道建設でメリットが得られるのかどうか判断がつかない。林道反対意見を無視することが無いようにしたい」と発言した。事業者の一方の責任者のこの発言は、林道建設に限りなく消極的であることを意味していた。この発言が紛れもなく青秋林道問題の転換点となった。同年12月、自民党青森県連政調会の金入会長は「推進、反対の関係者が合意を得るように」という見解を発表した。これも実現不可能なことで、実質的に林道建設をやめるように、ということと同じだった。これで、流れは決定的になった。あとは、ひたすら軟着陸を目指すことになる。 これらの動きを見て林野庁は1990年、白神山地の中核部を森林生態系保護地域に設定した。地域内では営利的な施業は出来なくなり、これで完全に青秋林道建設中止が決まり、白神山地が守られることになった。この流れで国は1992年、白神山地を自然環境保全地域に指定。さらにユネスコは1993年、白神山地を屋久島とともに世界遺産に登録した。 青秋林道建設反対運動が起こった当時、林野庁の手で林道計画が自動的に廃案になるとはだれもが予想していなかった。ましてや世界遺産にまで“出世”するとは、考えも及ばないことだった。ふるさとの原生林を守りたい、という素朴な気持ちで地元からうまれた保護運動。この小さな芽が全国の世論を動かし、ついには国や世界を動かしたのである。このような例はかつて無く、「白神」はわが国自然保護運動史に歴史的な1ページを記した。 振り返ってみると、白神の保護運動は、時の流れとうまく一致した、といえる。緑の減少に比例するようにモノがあふれる現代社会。その社会に「白神」は問いを投げかけた。そして県民、国民は「自然を残しておきたい」と白神の保護運動に共鳴した。これを受けて林野庁は、従来の森林施業方針を大転換させることになった。つまり「白神」は、自然保護を尊重する時代を自らつくり、そして自らがその流れに乗った、といえる。
青秋林道建設を中止に追い込むまでは一致団結していた青森県側の自然保護団体だったが、世界遺産になってから、人を入れるべきではない、いや入れるべきだ、という路線の違いで分裂した。 入山規制を主張したグループは「無制限に人を入れれば、貴重な自然が損なわれるので、人を入れるべきではない」と主張。青森営林局はこの主張に同調し1994年、奥赤石川林道の車両通行を禁止した。この林道は、白神山地中核部に簡単に入ることができるアクセス道だったため、論議を呼んだ。 一方、入山規制に反対しているグループは「もともと白神山地はマタギなど人々と深くかかわってきた。自然と触れ合ってこそ自然が理解できるようになる」と主張している。 このため青森営林局は1997年、白神山地の核心部への入山の扱いを決めた。これは、入山規制派と規制反対派の両者の折衷案ともいうべきもので、既存歩道5ルートは無条件で、また新たな27ルートは営林署への簡単な手続きで入山を認めることになった。 もともと人とのかかわりが希薄だった秋田県側の白神山地は、全面立ち入り禁止となっており問題も起こっていない。 |
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