| 2006年2月10日(金) |
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あのままでは、終われない。終わらせたくない−。10日(日本時間11日)開幕するトリノ冬季五輪の日本カーリング代表のキャプテン・小野寺歩(27)は、ソルトレーク大会から4年間、ずっとこう思い続けてきた。試合終了から時間が止まったままだった。あの時間を再び、動かすために北海道から青森に拠点を移して、カーリングに打ち込んだ。そして再びつかんだ五輪の夢切符。チーム青森のスキップ(主将)として、日本の代表として世界へ挑む。4年間の思いを胸にトリノの氷の上へ立つ。「今度は勝負だ」 4年前のソルトレーク大会。初戦アメリカ戦。日本の5点リードで迎えた第6エンド、日本の痛恨のミスショットで流れが変わり、試合をひっくり返された。その後、まさかの6連敗。予選敗退という現実。カーリングの怖さ、世界のレベルを目の当たりにした。 「もう一度目指そう」 五輪に出場できた充実感はあった。マスコミにも大きく取り上げられ、もてはやされた。しかし、結果には満足できなかった。 「カーリング専用施設を造っている青森市が、職員として誘ってくれている。青森でもう一度オリンピックを目指そう」 ソルトレーク終了後、小野寺は、中学時代からのチームメートで、同じ北海道常呂町出身の林弓枝(27)を誘った。一度は引退も考えていた林は深くうなずいた。ソルトレーク大会のアメリカ戦で、痛恨のミスショットを放ったのは、その林だった。 04年4月から青森市の臨時職員として働いた。体育施設の管理や運営。目立たない仕事をこなす日々。2人を、五輪選手と気付く人は多くなかった。 スポットライトが当たらない心地よい“日陰の時間”。2人は休日、レンタカーで県内の温泉を巡り、ゆっくりと流れる時を楽しんだ。 02年12月に完成したスポーツ会館でカーリングを指導しながら、子どもたちと触れ合い、カーリングの楽しさをあらためて味わった。そして、人間としての幅を広げていった。 05年2月の日本選手権。チーム青森が優勝すれば、トリノ内定という試合で、格下のチーム長野に1点差で敗れた。 敗戦後は心を鬼に 主将として責任感とプレッシャーを感じ、ピリピリとしていた小野寺。その敗戦からガラリと気持ちを切り替えた。「これまでの私はネガティブだった。これからは、気持ちだけでも前向きで行こう」 キャプテンは時には、悪役にもなった。05年9月のカナダ合宿。チームの1人が精神的疲労から調子を落とした。小野寺は厳しく言った。「私たちは、勝つためにここにいるのよ」。嫌われてもいいと思った。 05年11月23日、トリノ代表を決める選考会の朝、小野寺はメンバー一人一人に手紙を渡した。その内容は明らかにされていない。ただ、その手紙でチームの心が一つになったのは確かだ。 大学時代、教師になるのが夢だった小野寺。前々回の長野五輪の興奮に刺激を受けて、五輪を目指した。ソルトレークに出場することで、夢はかなった。2度目の夢の舞台は、自分が引っ張り、勝ち進んでいくステージだ。これまでの集大成をトリノで示そう−。小野寺はそう思う。 日本の初戦は14日の対ロシア戦。 |