津軽の気質が生むこぎん刺しと津軽塗

 こぎん刺しと津軽塗は津軽の二大伝統品。いずれも手の込んだ、手間のかかる品である。津軽の気質、忍耐、真面目、美的センスから成る品のようである。近年はいずれも地に足を着けつつ新展開を探ってもいる。伝統品ながら伝統にあぐらをかかず、懸命に進路を探っているのである。

 こぎん刺しは本来野良着を丈夫にする技法だった。しかし、美しい芸術的なデザインに昇華して現在に至る。弘前こぎん研究所代表取締役の成田貞治さんは「自分たちのだんなのため、隣のこぎん刺しと同じじゃ嫌だということだったのでしょう」と話す。その中に「津軽人のセンス、美的感覚があった」のである。また、「地域性、県民性から地味に丹念に刺し続けてきた」と語る。

 1960年当時で模様は600種類ほどあったという。模様は入れ替え、組み替えして現在も新しい模様が作られている。「模様は無限にあります」と成田さん。手間をかけた刺し子なので、最初は正月や祭りの晴れ着として着て、古びてくると座敷着、さらに作業着に-という具合に着たようだ。

 成田さんは、静かな語り口の中にも、研究所としての責任と使命感を負っている。それは、とにもかくにも、こぎん刺しを残し伝えていくことだ。こぎん刺しの製造販売をしている研究所の仕事をきちんとすること、地元の学校にきちんと教えること、桜祭りとねぷた祭りへの観光対応をきちんとすること。この上で、他の催事物産展などへ対応していくことである。

 従って、ファッションショーの展開についても、有名デパートの催事についても、引き合いがあるからといって無理を押して続けることはしない。ただし、外に出れば、その意見を聞くことができ、情報の入手もできる。さらにフランスや中国と、海外への対応もしている。

 「地元の商売を安定的にして、余力があれば、おもしろい仕事にも乗れるようにしたい」と成田さん。こぎん刺しの職人100人を擁して安定的に仕事をすることが伝統を守ることにつながるのだ。地に足を着けて、外への目線も忘れずに。要はバランス感覚なのだろう。

 弘前市は禅林街など寺が多いまちだが、「夢は寺の天井をこぎん刺しでデザインすること」と成田さんは笑う。昔からの夢なのだそうだ。もし実現すれば、こぎん刺しを絶賛して復活を後押ししたという民芸運動の創始者である柳宗悦も2度びっくりすることだろうか。

 一方の津軽塗。数十回も研ぎ出す技法で、他産地の早く大量に作る漆器とは対極の漆器といえそうだ。青森県漆器協同組合連合会の副会長の石岡健一さんは「手間のかかる技法だが、津軽人の気質で江戸時代から現代までやり続けてきた」と語る。

 江戸時代中期の弘前藩4代藩主信政公による産業育成策から始まり、現在も青森県唯一の経産大臣指定伝統工芸品。唐塗(からぬり)、七々子塗(ななこぬり)、錦塗(にしきぬり)、紋紗塗(もんしゃぬり)の4つが代表的技法である。

 漆器の販路拡大でさまざまな取り組みを続けている。中でも、技術開発により退色しにくいブルーなどの色合いからなるロイヤルコレクションができたころから、それまでの東北メーンから関東にも積極的に展開。新商品の弁当箱なども開発し、併せて伝統の塗りも売り込む。東京ドームで年2回開かれるテーブルウェア・フェスティバルで一からPRをやり直して周知が広がり、現在、新作品コーナーでは連続1位を取るようになった。

 さらに、地元弘前市に最多の観光客が訪れる桜祭り期間を狙ってPRしたり、中東・ドバイでも漆商品販売の可能性を調査したりと、各方面で売り込み努力をしているのである。「夢は海外展開まで持っていきたい」。冷静な中にも津軽塗の「逆襲」に挑む。

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