函館奉行所の随所に青森ヒバ

 函館市の北東部に位置する、五稜郭公園入口の藤棚は三分咲きだった。5月半ば、晴天だった。「青森の方ですか。昔も今も青森ヒバ(ヒノキアスナロ)が廊下など随所に使われていますよ。入り口は青森のマツですね」。公園内に復元された「箱館奉行所」の内部を案内してくれた女性が笑顔で教えてくれた。

 青森ヒバのミニ知識を一つ。ヒノキ科アスナロ属の常緑針葉樹で、青森県を中心とするヒノキアスナロは北方型、木曾地方を中心とするアスナロは南方型とされる。アスナロ属の北限は道南で、南限は九州。このうちヒノキアスナロの南限は栃木県とされる。ヒノキアスナロの代表的産地が青森県なので、青森ヒバの名称が通用している。なお、青森ヒバ、木曽ヒノキ、秋田スギが日本三大美林とされる。


 さて、箱館奉行所と五稜郭は松前城とともに箱館戦争の主戦場の一つだった。1968(明治1)年10月から翌年5月にかけて、上陸して占拠した幕府脱走軍に対して、松前藩、新政府軍などが反撃。幕府軍が降伏して五稜郭を明け渡し、幕末維新の動乱は終結したのである。

 五稜郭はペリー提督艦隊来航による1855年の箱館開港に対して、翌年から急きょ建設された洋式城郭。港湾からの砲撃を避けるため、奥まった場所に設置された。今は1600本の桜が咲き誇り、星形の堀の周囲をイルミネーションが彩るなど、四季折々の楽しみを生み出している。星形は戦時の防御の形だったが、五稜郭タワーから見下ろす平和な星形はこの上なく美しい。



雰囲気醸し出す上ノ國八幡宮、いにしえ街道

 松前藩の祖である武田信廣が山城の勝山館を築いた道南の上ノ国町。上ノ國八幡宮は夷王山への登り口にあたる本通り沿いにあった。訪ねた5月、霧雨に煙っていて、遠い歴史の中に引きこまれるようだった。武田氏が文明5(1473)年に勝山館の守護神として創建したと伝えられている。現存する神社建築では北海道最古という。

上ノ國八幡宮に隣接して、これまた北海道に現存する民家としては最古という旧笹浪家住宅がある。18世紀初めからニシン漁などを営んできた網元だった。

 ニシン漁で栄えた江差町には、風情ある「いにしえ街道」が整備されていた。廻船問屋の8代目当主が現住している木造の横山家と旧中村家が存在感を示す。両家とも表通りから海手に向かって数十メートル下っていく土間の通路が続く。往時、海手の部分は海に直結していて、揚げたニシンをさばいていたのである。


 旧中村家では表通りに面した一階の間で通常の商いをし、大口などは二階の間で商いをしたという。二階に上がる階段は隠し階段になっていた。用心のためだろうか。「坪数は200坪(660平方メートル)です」と、解説員の方が教えてくれた。通りにある雑貨屋など他の店もそれぞれに通りの雰囲気に合わせて古風な外観にしている。


 日本最北の古都・松前町にも「いにしえ街道」がある。名物の松前漬けの店も蔵造り風にするなど、江差町と同じく各商店なども落ち着いた装いにしている。江差から上ノ国、松前へと続くメインストリートの周辺は、神社、街道、網元、廻船問屋、趣のある商店などが一体となって歴史的雰囲気を醸し出している。
※町は上ノ国、神社は上ノ國八幡宮と旧字の國。




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