◎告別の日[エピソード]
 (2017-12-09)



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本日、飼い主母さんの告別祭が執り行われました。

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また、昨晩には、告別前夜祭が執り行われました。

ご本人の遺志により、神式にて執り行われましたため通夜・葬式ではなくこのような呼び方となっています。

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掲げられたお写真は、イカのカーテンの前でわさおともどもにっこりしている普段着の菊谷節子さん。
これがとても飼い主母さんらしいということでご家族が選ばれたようでした。

会場では母さんのためにいろいろな方々からのお花や捧げ物がありました。
地元関係の個人団体はもとより、映画関係者や俳優、お笑い系の方々、ロックバンド、演歌歌手の方などなど、飼い主母さんの交流の広さをうかがわせるものでしたし、お名前を眺めているだけで、あんなことがあったこんなことがあったと色々なことが振り返られました。

わざわざ遠くから駆けつけてご参列くださったり、あるいは会場に来れずともお心をお寄せいただいた方々も大変多く、ご本人もきっと喜ばれたことと思います。

さて、「わさおも参列するのですか?」という問いかけをいくつかいただきました。
飼い主母さんとわさおの家族以上とも言える関係性からして、そのように考えられるのは自然なことかと思います。

しかしながら、わさおは告別前夜祭・告別祭ともに参列しませんでした。
理由は二つあります。

一つは、飼い主母さんが「わさおに会いに人が来るだろうから、私になにかあっても店は休むな」と言い残したこと。
故に告別祭の今日も、お店は通常営業をし、わさおもそちらにおりました。

もう一つは、「故人にお別れを告げる儀式」というものがとても人間臭いものに思われた故。
なんだか人間社会の流儀をわさおに押し付けることになるのではないかという気になったのです。

飼い主母さんが出棺された日、お店の前を通過する母さんの乗った車をわさおは見送りました。
その時の様子を見て、もしかするとわさおは、我々とは違う理解・解釈をしているかもしれないとも思えました。
なんというか、絶望していないのです。
ですので、もしかしたら、わさおはまたいつかなにかの形で飼い主母さんに会える、と考えているような気がしたのです。
もしもわさおがそのように思っているのだとしたら、それそのままでいいんじゃないのかな、と。
それに「お別れだよ」と言ったところで、わさおは頑固に「んにゃ、そんなことはない!」と言い張るかもしれないな、とか。

みたいなことを個人的には思っておりました。そしたらご家族の方も同じようにお考えでした。
結果、特別なことはなにもせず、この二日間はわさおには普段通りの日常を過ごしてもらおうということになったのでした。

飼い主さんがいなくなって、わさおは今後どうなるのだろう?という声もちらほら見かけます。
わさおの飼い主は、いままでもこれからも飼い主母さん・菊谷節子さんただひとりです。
誰がなんと言おうと、誰よりも何よりもわさお自身がそう考えていると思うのです。
ですから、わさおの家はこれまで通りです。わさおの店もこれまで通りです。

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写真は今朝、自分の家を出て散歩にでかけるわさおです。
しっかりとした足取りで散歩に出かけるわさおです。

飼い主母さんがなくなって、わさおは大丈夫か?という声もちらほら見かけます。
たぶん皆様が心配されているよりは思った以上にわさおは元気です。
最初のわさ毛騒動以来、飼い主母さんはわさおが普通に過ごせるように、母さん以外でも散歩やお世話ができるよう心を砕いてきました。

だから、わさおは思った以上に大丈夫なように見えます。
でも、正直な所、時々なんだか腑に落ちない、納得行かない表情を浮かべていることもあったりします。
そんなとき、つばきがわさおを支えるように寄り添って見えます。
ちょめはマイペースなやんちゃぶりで、わさおの気分を紛らわしているようにも見えます。
わさお一家という形もまた、飼い主母さんがわさおに残した大きなものの一つのように思えます。

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