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2010年12月アーカイブ

皆様 こんにちは

日曜の朝、目が覚めカーテンを開けて外を見ると、辺りは雪国になっていました。
降っては消え、また降っては消え...を繰り返し、青森も本格的な雪シーズンになります。
このブログをお読みいただいている首都圏の皆様、青森は「しばれて」いますよ!
「気温が低く、寒くて寒くて身が縛られるよう」とか、あまりの寒さに柴の水分が凍結して、「柴が割れる」状態になることから、青森、北海道では、身の切られるような寒さを「しばれる」と言います。

青森は今日もしばれてますよ!

さて、今日は先日おじゃまいたしました「津軽コギンの魅力」展をご紹介しますね。
皆様、「津軽こぎん刺し」をご存知ですか?

こぎん刺しは津軽地方に伝わる伝統的な刺繍です。
こぎん刺しの「こぎん」とは野良着の事を指すそうで、特徴は縦の織り目に対して、奇数の目を数えて刺すことだそうです。
また、よく使う模様には「猫のマナグ(目)」「豆コ」「花コ」「べご(牛)刺」など津軽の愛嬌たっぷりの名前が付けられています。

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でも...うむむ、これはいったい何に使うのかしら?

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NPO法人nacaアートコアあおもりの佐々木理事長に伺いましたところ、これは着物の背中から前身頃のあたりに縫い付けていたのだそうです。

こんな風に。

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津軽は、その寒さのために、栽培北限が仙台や新潟あたりである綿の栽培ができません。
それで、昔から人々は綿ではなく、麻布で作った衣服を身に着けていたそうです。
8代将軍、徳川吉宗が財政安定を目指し、享保の改革を行います。
享保9年(1724年)には「農家倹約分限令」が出され、農民の着用する衣類なども厳しく規定されたそうです。

木綿の着物の着用ができない津軽の農民たちは麻布を何枚も重ね、そして重い籠を背負うため摩耗しやすい肩や背中の部分に糸をちくちく刺して生地が丈夫になるよう補強をするわけです。
また、麻布は、風通しが良く夏に向く布地ですが、厳しい冬の寒さに向く布地ではありません。
ですから、糸を入れ風の通りを悪くすることで、保湿効果を高めるわけです。

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時が経ち、明治の時代になりますと、津軽でも木綿を着ることができるようになり、木綿糸が手に入りやすくなります。
それで、藍の麻布に白の木綿糸で刺すようになり、実用一辺倒から、芸術性をもったものへとこぎん刺しも変わっていくわけです。

こちらのデッサンは現存される「こぎん刺しを着た人」を描いた最古のものと言われています。
もちろん、時代は江戸時代。

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少女たちは刺す練習をし、晴れ着用の物はお嫁入り道具の一つとして嫁ぎ先に持っていったそうです。
明治20年頃の美しい模様がまるで絵画のように刺された、こぎん刺しの着物が今でも残されています。

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しかし、明治末期になりますと、上野~青森間の鉄道が開通し、いままで手に入れることが難しかった物資も津軽に入ってまいります。

その一つが綿でした。
温かく丈夫な綿を人々は重宝し、こぎん刺しの着物は忘れられていきます...


でも、価値ある伝統は簡単になくなりません! なくせません!

昭和に入り、柳宗悦らの民藝運動により、こぎん刺しの価値が再認識されるようになります。
現在、地元の愛好家や、最近では若い女性の趣味の一つとして、注目を集めています。
ここ青森では、こぎん刺しは生活に根ざしたものであり、「こぎん刺しって津軽のものだったの?あらま、知らなかったわ」という声も聞こえてきそうです。


こちらの展示会では江戸時代の津軽こぎん刺しをたくさん展示していました。
一番初めに目についたのが、こちらです。


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なんと! 絹糸を使ったこぎん刺しです。
通常、こぎんは木綿糸を使っているのですが、これは当時庶民が使う事を許されていなかった絹糸を使った本当に珍しいものです。


これには、悲しい物語があるんですと佐々木理事長が教えて下さいました。


昔、村一番の不器量な女の子が、村一番のハンサムボーイ、今の言葉では「イケメン」に恋をしました。
彼女は来る日も来る日も、彼を想い、彼に嫁ぐ日を夢見て、当時は禁じられていた絹の糸を使って、こんなに素晴らしい刺し子を作ったのです。
出来上がった着物を持って、彼の家に意気揚揚と向かいました。
大好きな彼に会えるのですもの、そして、自分の思いを伝えられる...
そして戸を叩きました。
「ごめんください」
しかし、玄関に現れたのは、可愛らしい彼の新妻。
彼女は泣く泣く、またその着物を持って家に一人帰ったそうです。

一つの作品を作るのに、約半年かかるそうです。
今とは違い、電気の灯りなどありません。
農作業の合間などに、せっせと刺し続けたそうです。
まるで、コンピューターで作ったような幾何学模様が、見る者を圧倒します。
美しいのは表地だけではありません。

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100年以上たっても、生地はしっかりしています。

まるで芸術作品! すばらしいですね。


ところで、展示会ではアジア各地の刺繍製品を展示していました。

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台湾や中国、ベトナムのものなどを拝見しながら、シルクロードを通って、こういう技術が日本に渡ってきたのかなぁ、と感慨深くなります。


この間、ランチをいただいたレストランで、髪を束ねるためのゴムが販売されていましたので、私も一つ買いました。

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こういう中間色も素敵です。


今回、津軽の芸術作品を拝見させていただき、(しかも無料で!)、地元青森の生活の中の芸術に触れることができました。

津軽ならではの伝統工芸。
生活に根ざした庶民の知恵。


次に誰かに青森のお土産を買うときは、こぎん刺しのアイテムを選んでみようかな。


                                                     小豆畑 理恵


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皆様 こんにちは

今日は朝から雪。
このまま積もり本格的な冬になってしまうのでしょうか...
ヨーロッパではイギリス、フランスをはじめとする国々で大雪だそうで、エッフェル塔もヴェルサイユ宮殿も臨時休業してしまったそうですよ。
皆様も風邪などひかれませんようご自愛ください。

さて、今日はマチュピチュ遺跡をご紹介して参りましょう。

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山々に囲まれた天空の都市、Machu Picchu。
山裾からは、このようなインカの壮大な街が山の上にあるなんて想像もできません。
マチュピチュはクスコからウルバンバ川に沿って80kmほど下ったワイナピチュ山とマチュピチュ山の間に築かれた海抜2400mに位置する都市です。
1450年頃、インカ帝国第9代皇帝パチャクティの時代、マチュピチュの建設は始まりました。
「都市」ですから、神殿や住居、学校や田畑もありました。海抜2400mに生活に必要なすべてが備わっていたのです。
しかし、1536年頃から人口が減少し、1540年頃にはこのマチュピチュは人々に捨てられてしまうのです。
そして、マチュピチュは長い長い眠りにつきます。

1911年、映画「インディ・ジョーンズ」のモデルでもあるハイラム・ビンガムによって、マチュピチュはその深い眠りから目を覚まします。

亜熱帯のジャングルに覆われながらも、その見事な排水システムのおかげで、マチュピチュの保存状態は素晴らしいものでした。

400年の眠りから覚めたマチュピチュ。
560年前のインカ都市の栄華を、ご覧ください。

マチュピチュには、通常、ペルーレイルの列車に乗車し、その後、乗合バスに乗り換え、その後、歩くというルートで向かいます。もちろん古来からの「インカ道」を歩くという方法もありますが、それは、時間と体力が余っている方々にお任せしましょう。

今日はオリャイタイタンポ駅からペルーレイルの「ビスタドーム」に乗車します。

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天井部分がガラス張りになっているので、開放的な車両です。

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飲み物やスナックが配られます。

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電車で車内サービスを受けられるなんて、ちょっと得した気分です。

列車はウルバンバ川に沿って、ゆっくり進みます。

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2時間ほど乗車するとマチュピチュの麓の駅、アグアスカリエンテに到着です。

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乗合バスに乗り換えます。

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標高差400mのつづら折りの山道をマイクロバスで登っていきます。眼下は崖、向こうは絶壁です。

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マチュピチュ遺跡の入口でバスを降り、今度は自分の足で山道を登ります。
よいしょ、よいしょ、息を吐いて~、吐いて~ と、歩きます。
途中、リャマが「大変だねぇ」っていうような顔でこちらを見ています。

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上まで行くと...

あっ、見えてきました!!

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まだちょっと雲が低いなぁ。
なにせ2400m!八甲田山より、岩木山より高いのですもの、なかなか雲がない状態は難しいのです。

遺跡内に入って一番先に目につくのが、「見張り小屋」です。

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ここで太陽の光を反射させたり、ホラ貝を吹いて交信していたそうです。
屋根の部分の萱は、インカ時代と同じ高地に自生するイチュというイネ科の植物です。
茅葺を見ると、親近感が湧きますね。

そして、儀式の石。

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生贄台とも呼ばれています。
周囲の山々の神に、捧げものをしたそうですが、よくよく見ると山の稜線をかたどっているかのような石です。

もうちょっとだけ丘を登ると、そこは絶景写真ポイントです。
ここで、のんびり雲が上がっていくのを待ちます。

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地上の気温が上がり、太陽が顔を出すと、山のずっと下の方から雲が移動して参ります。

では、見張り小屋のある丘から降りて、かつての市街地へ向かいましょう。

市街地の入口には大きな石の門があります。

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ここは正門だったところで、門の高さは2m20cm、頭のところの大きな石は、なんと3トン!
ここにはちゃんと扉が取り付けられていたそうですよ。


下の写真をご覧ください。
マチュピチュの住宅地です。

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ここにはかつて「見張り小屋」のように、屋根があったそうです。もちろん、今でも屋根を葺こうと思えばできるそうですが、屋根を葺いてしまうと、内部が見えないという理由から、屋根のない状態にしているそうです。


正門を過ぎると、作業小屋が見えてきました。

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ここは建材である花崗岩の加工が行われていたとされる場所で、職人たちが住んでいたと考えられています。
画像だけでは分かりづらいと思いますが、マチュピチュは花崗岩つまり御影石が建築材料です。
「この石はどこから持ってきたのですか?」とよく質問をいただきます。
さあ、どこからでしょう。
どこでも、ありません。ここはもともと岩山ですから、この岩を削って、建材としたのです。

こちらは「太陽の神殿」と呼ばれる場所。

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冬至と夏至の日には神殿の窓から、太陽の光が中央におかれた岩をまっすぐに照らします。
ところで、今年の冬至は12月22日ですね。
南瓜や小豆粥をいただき、柚子のお風呂に入ると風邪をひかないそうです。
この時期は忙しいですよね。南瓜も食べなきゃいけないし、クリスマスケーキも待っているし、それが終わると年越し料理におせち料理。
しばらくは体重計の前も素通りしましょ...

おっと、失礼しました。
話がそれました。
次はジャングルのような場所ですが、こちらはミニ植物園です。

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マチュピチュ周辺で見られる植物を集めて植えられています。

さらに進みますと、神聖な場所へとたどり着きます。
高台になっていて、ここからの眺めは最高です。

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重要な建造物が集中し、市街を見下ろすエリアです。
こちらは「3つの窓の神殿」と呼ばれています。

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インカといえば台形の窓、中央に3つの窓が開けられています。
窓は太陽の昇る東側を向いています。冬至の日には地面に同じ大きさの影ができるそうです。

そして「主神殿」。

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世界を創造したビラコチャ神のために建てられたといわれる神殿です。
中央に横たわっている大きな岩は長さが4.5mあり、かつてはここに神様への捧げ物が置かれていました。

こちらは「日時計」。

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インカ時代の公用語であるケチュア語で日時計はインティワタナと呼ばれていました。
インティは太陽、ワタナは繋ぐという意味がありました。
全体に13度傾いた岩の高さもけっこう高く1.8m、上の角柱部分は36cmあります。
角柱の角はそれぞれ東西南北を向いており、当時、太陽暦を使用していたインカの人々が暦を読むために使っていたそうです。

こちらは「3つの入口の家」と名付けられた学校だったところ。

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織物などの手工芸や、ケチュア語、天文学などを学んだところだそうです。

「コンドルの神殿」もご紹介しましょう。

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写真でははっきり見えませんが、後ろの部分が翼を模し、正面の部分がコンドルの頭部を模した神殿です。

そして前述の「太陽の神殿」の下の部分。

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陵墓という説や大地の神の神殿だったという説もあります。
この部分からはトウモロコシやジャガイモの絵のついた陶器が見つかっています。

最後にご紹介しますのは「アンデネス」と呼ばれる段々畑。

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この段々畑は東向きに作られており、日中には太陽の熱で地面が温まり、夜も温室のような機能を果たしたといいます。
ジャガイモやキヌアなどを栽培し、採れたジャガイモは乾燥させて貯蔵庫で保管していたそうです。
斜面を利用した段々畑は上から、土、川の砂、小石、石と4層になっていました。豊かな雨水のおかげで、水路は必要なかったようです。

太陽が昇ると日向ぼっこをしに、トカゲたちが石垣の間から顔をのぞかせます。

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そして、私たちは、マチュピチュ遺跡を後にしました。

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さて、5回に渡ってご紹介しましたpacienciaで綴る南米の旅もそろそろ終わりが近づいてまいりました。
Pacienciaはスペイン語で「忍耐」を表す言葉と説明申し上げましたね。
この言葉は日系2世の方と結婚されペルー在住40年という、生まれも育ちも日本というトシエさんが、ここに暮らすために必要だとおっしゃっていた言葉です。


ここの人たちは、のんびりとしていて、てきぱき仕事をしようともしないし、日本だったらイライラすることが多いと思うの。
でも、人種が違うんだからって思って接すると、彼らのいいところがたくさん見えてくるじゃない?
家族を大切にするところなんて、日本と比べものにならないわよ!
たとえば、80歳のおばあちゃんの誕生日が近くなるとするじゃない?そうするとね、ここの人って、おばあちゃんを美容院に連れて行って、ちゃんと髪をセットしてもらい、ネイルサロンに行って、爪のケアをしてもらうの、もちろん誕生日用のドレスも買うの。
全部、家族の誰かが一緒に付き添って、目や肌や髪の色にあったドレスを新調するの。
そして、迎える誕生日には遠くからも家族がみんな集まってきて、レストランなどに行って盛大に誕生日をお祝いするのよ。
彼らにとって、一番大切なのは家族。これは絶対なことで、誰もが疑わないことなの。
だから、日常生活で、日本と違うなぁと思ってもpatiencia pacienciaって呟いてると、違いを楽しめるようになるのよ!


家族が一番大事。
お金があってもなくても、それだけは変わらないのがペルーだそうです。
優れた国家機能を持ち、統制のとれた社会を実現したインカ帝国。
泉の敷石までもが金であった南米最大で最後の王国。
それがスペイン人の侵略にあい、その圧政に苦しむ植民地となってゆく...
国家が苦しみ喘ぐ状況の中で、頼れるのは家族だけだったことでしょう。


家族が一番大事。
これが今回の旅で、一番心に残った言葉でした。
当り前のことですけれど、声に出すと照れますね。だから、私もトシエさんのように呟くことにいたします。

暮れなずむ太平洋。 

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海の向こうは日本です。
この海を見ながら、自分には帰る場所があるということが、いかに幸せなことかをかみしめ、帰りたくても祖国に戻れなかった移民の方々に思いを馳せます

それでは皆様、また、お会いしましょう。  Adios! Hasta pronto.

                                                     小豆畑 理恵


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hola! pacienciaで綴る南米の旅④

皆様こんにちは

いかがお過ごしでしょうか?

先日、ご紹介いたしましたリマは、日本からの移民がとても多いところです。
ペルー移民の歴史は、790人の日本人移民を乗せた第一期移民船『佐倉丸』がリマの北方にあるカジャオ港に到着した1889年4月3日に始まっています。
現在、ペルーには約9万人の日系人が住んでおり、日系三世の時代になりました。
しかし、驚きますのは日系三世の若い人たちも、流暢な日本語を話せる人が多いことです。


方々を旅して参りますと、両親が日本人なのに日本語がほとんど話せない人たちに出会います。
イタリアの方とご結婚され、南部のアルベロベッロという町に住んでいるYさんは、息子さんに日本語を教えるために、日本から「漢字ドリル」などを取り寄せて、日本語を教えています。
通常は、現地の学校に通わせつつ、放課後に日本語の学校に通わせるなどするのですが、住んでいる場所によっては、それもかないませんよね。


もちろん、日本人移民の多いペルーですから、日本語教育も他地域に比べると容易かもしれませんが、以前、知り合った20代の日系三世の若い女性がこんな事を話していました。
「私のうちでは、家の中では必ず日本語で話しています。学校はローカルの学校ですから、スペイン語で話していました。ただいま、と一歩家に入ると日本語以外は使用禁止だったんです。だから、父が日本に出稼ぎに行き、家族で日本に一時的に引っ越したときも、ちっとも困りませんでした。」
3世、4世の世代になると自分のルーツが日本にあることを意識することは、難しいことかもしれません。しかし、ペルーでは日本人であることに誇りを持つ方がたくさんいらっしゃいますよ。
同じ日本人として、嬉しい限りですね。


さて、今日はインカ帝国の都、クスコをご紹介しましょう。
クスコはケチュア語で「へそ」という意味を持つ標高3399mに位置する都市です。
高いところが苦手な私は、特効薬を持参し、クスコの空港に降り立ちました。
薄い空気に慣れるまで、いつもの半分の早さで歩き、大きな声を出すこともできません。
ゆっくり、ゆっくり舐めるように歩いていきます。

最初にご紹介するのは、コリカンチャ「太陽の神殿」と呼ばれ、現在はサント・ドミンゴ教会となっている場所です。

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インカの時代、スペインから来た征服者は外も中も黄金で装飾されたコリカンチャを見て、思わず嗚咽をあげたといいます。
金の石が敷き詰められた畑の金のトウモロコシ、金の泉、金の像、そして金の祭壇。
インカの栄華がかつてこの場所にはありました。
スペイン人たちは、宝物をすべて持ち去り、その跡に教会を建設しましたが、大地震があり、インカの時代に作られた土台を除いて、崩壊してしまったそうです。
黄金が取り去られたコリカンチャは、現在でもその建築技術の素晴らしさを見せてくれます。
インカ帝国の石組みはよく「カミソリの歯、1枚も通さないぐらい精巧である」と言われます。

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この広場にも金が敷き詰められていたそうですよ。

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インカの世界観を表す金の板が展示されています。(これはレプリカです)


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インカでは世界は3つの層に分かれています。
コンドルが守る天上界、ピューマが守る地上界、そして蛇の守る地下界。


石切りの跡も残っています。

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このちゃぶ台のような台は生贄のための台だそうです。台の後部に小さな穴が開けられているのが見えますか?

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これは生贄にされた動物たちの血を外に排出するために開けられた穴だそうです。


壁には台形の窓が開けられています。

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ここには神様を祀る像などが置かれていたそうです。


壁の突起は、後でつけられたのではありません。石壁の一部なんです。

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この突起は占いなどに用いられていたそうです。


内部は地震で倒壊しないように、壁は少しだけ内側に傾いています。素晴らしい技術ですね。

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コリカンチャを出て、外を歩くと、「12角の石」がありました。
ちょうど、女性の左側に大きな石がありますでしょう?

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すべて四角で済ませられるものを、あえて十二角に挑戦したそうです。

この精巧な石壁には驚きです。


これは大聖堂、カテドラルです。1550年から約100年かけて建てられた重厚な教会です。

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こちらはラ・コンパニアーナ・デ・ヘスス教会。
1650年の地震の後に建てられたそうです。

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そして、この二つの教会に挟まれているのがアルマス広場。

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インカ帝国の街づくりもヨーロッパ同様、広場が中心となっていたそうです。


通りにはちょっとしたお土産を地元の女性たちが売っています。

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クスコ郊外にはサクサイワマンと呼ばれる堅固な要塞跡です。

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スペイン人に反逆したマンコ・インカは2万の兵とともに、この要塞に陣取ったそうです。
しかし夜は戦わないインカの兵はスペイン軍にその隙をつかれ、作戦は失敗に終わってしまいます。
360mに渡るサクサイワマンの遺跡は巨石を3層に積み上げられて作られています。
一番高いところで、5m。

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約360トンもある巨石が使われている部分もあります。

高度な石組みの技術をここでも垣間見ることができます。

次回は、いよいよマチュピチュをご紹介しましょう。
                                                           (あ)


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hola! pacienciaで綴る南米の旅③

皆様 こんにちは


12月4日は東北新幹線全線開業の日。
東京まで3時間23分で行けるなんて、驚きです。しかも、来年には新型車両「はやぶさ」導入により、さらに東京が近くなります。
東奥日報社でも本日、往復とも新幹線を使った関東方面の旅行が出発いたしました。
いいなぁ、新幹線に乗れるなんて羨ましいなぁ...お気をつけてご旅行ください、と皆様方の安全をお祈りしています。

さて、先日はイグアスの滝をご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?

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実際に自分で足を運んでみますと、ジャングルの中に突然この滝があって、最初にこの滝を見つけた人はさぞかし驚いただろうなという感想を持ちます。もともとこの地には先住民のグアラニー族が住んでいたそうですが、ヨーロッパ人として初めてイグアスの滝を発見したのはスペイン人探検家のアルバル・ヌニェス・カベサ・デ・バカという方でした。1551年のことだったそうです。
予告なしに、こんな光景が目の前に突如現れたら、腰がぬけてしまうかもしれませんね。


イグアスを後にし、次に私たちが向かったのはペルーの首都であり、人口約790万人の大都市リマです。
リマはチャラと呼ばれる海岸砂漠地帯に位置し、一年を通じてほとんど雨が降らないのですが、朝はいつもどんより曇っております。

リマの最高裁判所を朝、撮影しました。

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雨が降りそうですね、傘を持ったほうが良いですか?とよく聞かれますが、ほとんどの場合不要です。
実際、雨が降るのは5月の頃、ほんのわずかの霧雨だけ。この霧雨は「インカの涙」と呼ばれています。


リマは大きく分けて歴史的建造物がユネスコの世界遺産にも登録されている旧市街(セントロ)とオフィスビルや高級商店街が立ち並ぶ新市街とに分かれています。

まずは、旧市街からご案内しましょう。
旧市街の中心ともいえるのが、アルマス広場。
この広場を大統領府、リマ市庁舎、カテドラルが囲んでいます。
アルマス広場の北側に鎮座する大統領府は、元はインカ帝国を滅ぼしたフランシスコ・ピサロの屋敷だったところ。

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歴代大統領が深く関わってきたこの建物も、何度も増改築を繰り返し、公式に大統領府と公に定められたのは比較的最近で、1939年のことです。コロニアル風の建物が素敵ですね。

ここで、少しペルーの歴史を振り返ってみましょう。

紀元1000年。今から約1000年前、チムー、チャンカイ、イカといった地方文化がさかえ、それらを統一して、1250年、インカ帝国がおこりました。
クスコのケチュア族を筆頭としたこの帝国は、今までの地方文化を統一、吸収合併し、情報網を整備して、短期間で領土を拡大し、15世紀末には首都クスコを現在のコロンビアからチリにまたがる4000kmの大帝国を築き上げました。

その領土は今の国境で6カ国にもおよび、面積は200万平方km。その真中にクスコ(へそという意味)がありました。インカの正式名称はタワンティンスーユー、4つの州という意味です。
しかし、1532年、新大陸を目指してやってきたスペインのフランシスコ・ピサロの奸計により、カハマルカでインカ皇帝アタワルパが捕らえられ、処刑されてしまいます。
これにより、400年余に渡ったインカ文明は幕を閉じました。
その後、19世紀初頭までスペインの植民地下にあり、その圧政に苦しみ続けますが、1821年、独立派サン・マルティン将軍のもと、スペイン王党派をやぶり、7月28日、ペルー共和国としての独立を遂げました。

次の建築物はカテドラル(大聖堂)です。
1535年1月18日、フランシスコ・ピサロが自らの手で礎石を置いた教会です。
ペルーは人口の95%ほどが、カトリックを信仰している国です。
教会内は豪華で、耐震機能もあります。
一見大理石に見えるこれらの柱も、中は木で作られているそうです。

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中央祭壇もとても立派です。

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教会内には側廊にそって、金や銀を貼り、見事な彫刻の施された16ほどの小さな礼拝堂が置かれています。

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ピサロのミイラとされる遺体も安置されています。もちろん、中は見えませんが。

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次は、黄色い建物、リマ市庁舎です。

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この黄色、オーストリアのハプスブルグ家に由来する「ハプスブルグ・イエロー」または「マリア・テレジア・イエロー」と呼ばれる色です。
ピサロがインカを征服した当時のスペイン皇帝がハプスブルグ家にゆかりのある方だったそうです。
そういえば、ウィーンにあるマリア・テレジアの夏の離宮「シェーンブルン宮殿」も同じ色だったような気がします。
このシェーンブルン宮殿、最初は外壁に金を塗ろうとしたそうですが、マリア・テレジアが財政を考慮し、金に近い色である黄色を塗らせたそうです。
この黄色を、まさか、地球の裏側で見るとは...歴史は繋がっているなぁと実感します。

アルマス広場からちょっと離れたところにサン・フランシスコ教会があります。

1546年から100年以上かけて建てられた立派な教会です。
バロックとスペインのアンダルシア風の建築様式が取り入れられています。

市街地を散歩すると、日本にはない風景に出会います。
コーヒーとパンを小さな屋台で買って、簡単に朝食を済ませる人たち。

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自転車の荷台を冷凍庫に改造した、アイスクリーム販売用自転車。

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ショッピングモールは夜になると、ゲートが閉じられ警備員たちにガードされています。

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そして、1996年12月17日に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の舞台となった旧日本大使公邸。

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ところで、来年はペルーの大統領選挙が行われます。
市街地でも田舎でも「2011がんばれ!ケイコ」という看板などが目につきます。
ケイコさんとはアルベルト・フジモリ元大統領の長女で現在は国会議員である藤森恵子さんのことです。
今年35歳となり、大統領選への出馬が可能となったケイコさんが日系初の女性大統領に挑戦します。
来年、ペルーは大統領選です。ペルーの大統領選挙は義務制であり、直接選挙です。有効投票数の50%プラス1票をとらねば、たとえ1位になっても大統領にはなれません。過半数以上の得票を得た候補がいない場合は、上位2者の決選投票になります。
来年のペルー大統領選挙が楽しみですね。

今日最後にご紹介するのはリマの新市街地にある恋人たちの公園です。
公園の真ん中にカップルが抱き合っているモニュメントがあります。


なかなか大胆な構図で、見てるこちらが照れてしまいそうです。

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この日は天気が良いので、パラグライダーを楽しむ人たちの姿が!

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そして、太平洋。

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このずっとずっと先は日本に続いているんですよ。
ちょっとホームシックになりますね。

次回はインカ帝国の都、クスコをご紹介しましょう。
                                                           (あ)


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hola! pacienciaで綴る南米の旅②

皆様 こんにちは

12月に入り、ちょっと暖かい日が続きましたね。
皆様方はいかがお過ごしでしょうか?
観光部がある新町界隈も、ウィンドーにはクリスマスツリーなどの装飾がされ、街は赤と緑のクリスマスカラーに彩られてまいりました。
クリスチャンでなくとも、クリスマスは楽しいお祭り。
家族や友人、大切な人のためにプレゼントを用意するという行為は、買うという行為そのものより、いつもの時期より相手を想うことに価値があるのではないかなぁと私は思うのですが、皆様方はいかがでしょう。

さて、先日から「hola!pacienciaで綴る南米の旅」を書き始めました。
holaというのは"オラ"と読みます。
"オラ"というのはスペイン語で「やぁ」の挨拶ですが、それに続くpacienciaは「忍耐」を表すスペイン語です。
なぜ、「paciencia(パシエンシアと読みます) 」なのでしょう。
それは、おいおいお話しさせて下さいね。

それでは、今日は世界三大瀑布の一つ、イグアスの滝をご紹介しましょう。

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「igu」は水を「azu」は壮大なものへの驚嘆の意を表す、イグアス。
ブエノスアイレスから飛行機で1時間20分。あっという間に亜熱帯の楽園に到着です。

毎秒6万5000トンもの水量が幅2.7kmに渡って流れ落ちています。
この水量は世界三大瀑布と言われるナイアガラの滝、そしてビクトリアの滝をはるかにうわまわっており、かつてこの地を訪れたルーズベルト大統領夫人が「わたくしのナイアガラが可哀そう」と呟かれたとの噂もあるほどです。
世界遺産登録されているイグアスの滝を含めたイグアス国立公園の面積は22万6千ヘクタールとなんと東京都の面積より広く、アルゼンチン・ブラジルの2つの国にまたがっています。
また、イグアスの滝のあるイグアス川はアルゼンチン・ブラジル・パラグアイの三国にまたがっています。3つの国が一望に見渡せるポイントにやってきました。

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私の立っている場所がアルゼンチン、向かって右がブラジル、左がパラグアイです。

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では早速、イグアスの滝のハイライト「悪魔の喉笛」まで行ってみましょう。

国立公園の入り口で入園料を払い、公園内へ入ります。

公園の入口から滝まで距離がありますから、ビューポイントに続くトロッコ列車に乗車します。

「悪魔の喉笛」って変な名前でしょう?
イグアスには275ほどの滝が流れています。その中で最大のものが「悪魔の喉笛」と呼ばれる滝なのです。

トロッコ列車をEstacion Garganta del Diabloつまり、悪魔の喉駅で下車すると、なにやら黄色い一群が宙を舞っています。

よくよく見ると...

あっ 蝶々。
オオキチョウと呼ばれる蝶なのですが、しばらく乱舞して、その後1か所に集まってお休みというのを繰り返しています。
イグアスには500種類もの蝶が生息しているそうですよ。

ずっと見ていても、全然飽きないのですが、まずは「悪魔の喉笛」に進みます。
「悪魔の喉笛」まではイグアス川に架かる1.1kmの展望橋を渡ります。

途中、朽ちた橋が見えてきます。

いつもこの写真のように、おだやかな天気というわけではありません。
時には何日も雨が続くこともあります。
この朽ちた橋は1992年の洪水の時に流された橋です。
何度となく橋をかけ、何度となくせっかく架けた橋が流されというのを繰り返しています。
大自然の前では、人間は無力なのかもしれません。


そして、ふぅ。
1.1km歩いて、到着です。ビューポイントには人がたくさん。

ごぉぉぉぉぉぉぉという音をお聞かせできないのが、残念です。
風向が変わると、霧雨のように水しぶきがかかります。

虹もかかっています。

  

激しく力強い滝にかかる虹は、そんな自然の驚異を少しだけ柔らかく演出しているようです。

イグアスにはたくさんの遊歩道があります。
途中、野生のアナグマにも出会います。

かわいいでしょう?

ついでに、オオトカゲも。 体長80センチぐらいあるかもしれません。

でもこのオオトカゲ、体は大きいのに意外と気が小さいようで。
人の気配がすると、すぐ藪の中に逃げ込みます。
イグアスの動物たちは人間に結構慣れていて、さきほどのアナグマなんかは、なんか食べるもの頂戴~って寄ってくるのですが、オオトカゲは違うようです。
もちろん、国立公園ですから動物たちに食べ物を与えることは禁止ですが。

遊歩道を進んでいくと、滝を様々な角度から眺めることができます。

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途中、可愛らしい花々も。

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滝壺のそばまで行く、Aventura Nauticaというボート・ツアーに参加します。
イグアス川の滝の下流をスピード・ボートでクルーズ。
滝の真下までボートで突っ込んでいきますから、カッパが必要です。
こんな格好で、乗るんです。

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ご一緒させていただきましたお客様には、一生分叫んだわ!という声をいただく、なんともスリリングなボート・ツアーです。

おっ、なにやら珍しい木が。

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インドイチジクと呼ばれるそうで、葉っぱが大きいので日陰を作りやすいということで、庭木として植えられたそうです。

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大きな実が地面に近い所にもなっていますが、残念ながら食べられません。

公園内では許可された人だけが商いを許されていますが、この方は園内の朽木を利用して木彫りを作っています。

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1つ10ドルぐらいだったかな。

真っ青な空に、赤い大地、そして、巨大な滝。
雄大な自然の前に、ただただ驚嘆の声を上げるばかりです。


次回は日本からの移民の方も多い、ペルーを紹介しましょう。
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