皆様 こんにちは
日曜日はバレンタインデーでしたね。
女性の皆様は、大切な方々へチョコレートを贈られましたか?
私も、日頃の感謝を込めて、家族や同僚そして友人にチョコレートを贈りましたよ。
学生の頃、手作りチョコレートを好きな男の子に贈る友達を見ては、なんてロマンチックなのかしらと思っておりましたが、この、女性が好意を寄せる男性にチョコレートを贈り「好き」という気持ちを告白するという習慣は、日本独自だということをご存知でいらっしゃいますか?
西洋のバレンタインデーは日本と異なり、男女を問わず、恋人や親しい人にチョコレートだけではなく、カードやお菓子、または花を送りあいます。バレンタインデーの由来は、キリスト教の聖人、聖バレンティヌスに由来していると言われております。
彼は、当時禁止されていた兵士の結婚を執り行い、そのために2月14日に殉教したので、この日を「愛を語り合う日」としてお祝いし始めたということです。
さて、前回はルクソール東岸をご紹介しました。
生ける者の都である東岸は、国内最大の神殿があり、スフィンクス参道がありと当時の繁栄を3000年以上たった今でも感じることのできる場所でした。
では、死者の都・ネクロポリスはどんな様子でしょう?
早速、ルクソール西岸をご紹介します。
ルクソールと言えば、王家の谷が有名ですね。
王家の谷へ向かう道はよく舗装されています。

残念ながら、現在、王家の谷では写真の撮影が一切認められておりません。
ですから、皆様には現地で購入した絵葉書でその様子を紹介します。
王家の谷に一歩足を踏み入れた時の感想は、ここに道路がなかったら、ただの砂と石の丘陵地だなぁということでした。
こんなところに隠された歴代のファラオのお墓を、どのように発見したのか不思議です。

左上から下部にある、王墓の入口は、後世になって作られたものです。現在、わかっているだけでこの場所には64の墓があり、そのうち24が王墓だということです。
王墓には美しい壁画やレリーフが残っていますので、紹介しましょう。
ラムセス6世の墓の天井画として描かれた天空の女神・ヌト女神と「昼の書」「夜の書」のレリーフです。太陽の船に従って行進する神々の姿が描かれています。

セティ2世の墓に彫られたレリーフです。

ラムセス1世の墓の壁画です。

そして、王家の谷と言えば、ツタンカーメン。
ツタンカーメンのお墓の発掘の様子も、しっかり絵葉書になっておりました。

わずか7歳で結婚し、ファラオとなったツタンカーメンは17歳で亡くなってしまいます。
周りは敵ばかりという状況で、唯一心を許せることのできたのは王妃アンクエスエンアメンだけだったそうです。大勢の側室がいて当たり前という時代に、ツタンカーメンだけは王妃以外の女性を愛することはなかったそうですよ。
17歳で、その短い生涯をとげたツタンカーメンの王墓は1922年11月、ハワード・カーターによって発見されます。発見されたとき、この少年王の棺の上には、乾ききってからからになった矢車草の花束が置かれていたそうです。3000年以上の時を超えて、矢車草の花束が語るもの、それはやはり王妃の愛なのでしょうか。
では、ちょっとグロテスクかもしれませんが、ツタンカーメンにも登場していただきます。

現在も彼のミイラは、王墓の中に眠っております。
さて、ルクソール西岸のもう一つのハイライト、ハトシェプスト女王葬祭殿をご案内しましょう。

背後に断崖があり、ドラマティックな場所に建設された葬祭殿は、エジプトで最初に女王となったハトシェプストのものです。
彼女は、当時の王位継承の例外ともいれる形で強引に王になった女性ですが、彼女の治世において、エジプトで初めての貿易が行われたり、シナイ半島で金の採掘が行われたりと、平和で経済活動も活発だったと言われています。

当時の色遣いも、そのまま残っています。

神殿の入口には天空の神であるホルス神の像が立っています。

王家の谷をぬけると、メムノンの巨像と呼ばれるアメンヘテプ3世の像がそびえています。

高さ15メートルを超える巨像は紀元後27年の大地震によりヒビが入り、そのため夜明けに音を発するようになったそうで、「像が歌う」と、当時の皇帝たちがはるばるローマから見学に来たという記録も残っています。
さて、次回はルクソールを後にし、さらに南へ下りましょう。 (あ)


