とうおう旅くらぶ
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2012年1月

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2009年8月アーカイブ

皆様 こんにちは

いよいよ最後にご紹介するのは、クロアチアの首都ザグレブです。
もともとはカプトルというローマ・カトリックの宗教都市とグラデツという王国自由都市、2つの町が17世紀に合わさってザグレブという一つの大きな町になりました。
現在のザグレブはヨーロッパで最も発展の著しい都市のひとつで、町の雰囲気はウィーンに似ているような気がしました。

  

では観光をスタートします。
ザグレブの中心は南半分が新市街、北半分が旧市街です。
南の中央駅から観光をスタートし、徒歩で旧市街のほうへ向かいます。駅前には緑いっぱいの公園やバロック様式の重厚な建築物、そして路面電車が走っています。

  

公園では、茹でたトウモロコシを売るオジサンが。

公園の中を歩きながら旧市街へ歩いている途中、警察署がありました。
日本とはずいぶん違いますね。

  

ついでに、郵便局の車も目にとまりました。日本とは違いヨーロッパではポストの色は黄色。

  

世界一短いケーブルカーに乗って丘の上の旧市街へ上ります。
ケーブルカー乗り場です。乗車時間は30秒ほどですから本当にあっという間でした。

ケーブルカーで旧市街のゴルニィ・グラード地区に上ると13世紀に建てられた見張り塔、ロトルシュチャク塔があります。

聖マルコ教会の屋根は色タイルを用いて紋章を表しています。ちなみに右側はザグレブ市の紋章だとか。

  

現在のゴルニィ・グラード地区はかつてのグラデツの町で、この町には城壁があったそうです。
城壁は撤去されましたが、城壁の門であった東門「石の門」が残っています。
石の門の中には小さな礼拝堂があり、この日も熱心に祈る人々がおられました。

  

石の門をくぐり、カプトル地区へ入ります。

おっと、ネクタイ屋がありました。
クロアチアはネクタイ発祥の地です。首に布を巻く習慣はローマ時代に遡るそうですよ。

まず、青果市場へ。
ザグレブの胃袋とも呼ばれる市場に、ザグレブのお母さんの象徴のような銅像が立っています。

そして、聖母被昇天教会へ。

ネオゴシック様式の建物で、尖塔の高さは100メートルを超します。
内部はルネッサンス様式の祭壇などがあります。

  

旧市街から降りるとザグレブ発祥の地、共和国広場があります。ザグレブとは"堀"とか"溝"という意味で、丘の上の旧市街から下を眺めるとこの広場が溝にあたる部分だったというのが地名の由来だったそうです。
この広場はイェラチッチ広場とも呼ばれ、ハンガリー王国からの独立運動の闘士でクロアチアの英雄、イェラチッチの騎馬像が置かれています。

このザグレブでクロアチアの旅は終わりました。
ザグレブ空港の様子です。

空港はそんなに大きな空港ではありませんでしたが、ヨーロッパ各地に向かう便で込み合っておりました。

日本までの直行便がありませんので、私もヨーロッパを経由し帰国の途につきました。

最近、某大手航空会社でもチャーター便を飛ばすなど、ちょっとずつですが知名度が上がってきたクロアチア。行ってみたいなぁ、なんて漠然と思っていた場所でしたが、訪れてみると、自然が豊かで、歴史的建造物も多く、見ごたえのある国でした。
一番びっくりしたのが観光客の多さです。
日本人には馴染みがない場所であっても、これだけの観光資源があるのですからヨーロッパ各国からの観光客が絶えません。
しかも、西ヨーロッパだけではなく、中・東ヨーロッパの方々も多いようです。(聞いたことのない言語をたくさん耳にしました)

クロアチアというと「ユーゴスラビアの内戦」が話題にされがちですが、この地を訪れる観光客が、内戦の爪痕を感じる事はほとんど皆無でしょう。
それほど、戦後の復興が進み、民主化とともに経済の発展がみられる国なのです。

5回にわたってクロアチアを紹介して参りました「クロアチア滞在記」も最後となりました。
いつも、快く「行ってらっしゃい」と送り出してくれる部長を始めとする同僚の皆さん、不在の間のバックアップを感謝します。
Hvala(ホゥヴァラ)、ありがとう。

そして、このブログを今日もご覧いただいております皆様、ありがとうございます。
感謝の気持ちを今回は「クロアチアのお土産プレゼント」という形で表したいと思います。
プレゼントとしてご用意したものはクロアチアの観光地が描かれたマグカップ、ザグレブの伝統柄ハートモチーフの小さなテーブルクロス、手作りのしおり、そしてクリスマスの飾りです。
これらを各1名様に抽選でプレゼントさせていただきます。

クロアチアのお土産

ご希望の方は官製はがきに

①お名前
②住所
③電話番号
④「とうおう旅くらぶ」の感想(一言で結構です)

をご記入いただき 

〒030-0801 
青森市新町2丁目2-11 
東奥日報社観光部 
クロアチアのお土産係

まで、お送り下さい。8月31日弊社到着分まで有効です。
たくさんのご応募お待ちしております。

では皆様 Čuvajte se(チュヴァーイテ セ:ごきげんよう)  
                          
                                                     小豆畑 理恵


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皆様 こんにちは

世界遺産都市ドブロヴニクとスプリットを訪れた後は、内陸の方へ移動し、ユネスコの世界自然遺産プリトヴィッツェ湖群国立公園を訪れました。

ここは200平方キロメートルの自然公園の中に、大小16の湖と92か所の滝がある世界的に貴重な湖群公園、それがプリトヴィッツェなのです。

標高639メートルの高さにある湖から標高150メートルまで次々と滝が流れては湖を形成している姿は、自然の織りなす芸術です。

プリトヴィッツェには入口が2つあります。
園内は広いので、徒歩以外の移動手段として、エコロジーバスと遊覧船があります。

  

では、ゲート2でチケットを購入して中へ入ります。

チケットの表と裏です。裏には、公園内での禁止事項がいろいろ書かれています。

  

公園の中は、訪問者の体力に合わせ、たくさんのハイキングコースが組まれています。
ハイキングと言っても、湖のほとりを歩いていくのがほとんどですから、ベビーカーを押しながら観光する家族連れもいます。

売店で園内マップを購入し、自分の歩けそうなコースを選びます。
昨日までは外気温が35度を超えていたのに、山は爽快で朝夕は肌寒いぐらい。せっかく来たからということで、一番標高の高いところまで、エコロジーバスで行って、そこから湖や滝を見ながら徒歩で下り、そのあと、湖を遊覧船で横断してさらにハイキングを続けるという6時間コースを選びました。

では出発。エコロジーバスに乗り、地図では一番左の大きい湖の南端まで行きます。

バスを降り、徒歩観光スタートです。

こういう看板が湖の入口に設置されているので、自分がどこにいるのか、すぐわかります。


足元は木製の遊歩道か、平らな土の道で、ところどころゴミ箱もあり、非常に整備されています。

  

湖の透明度が高いのには驚きです。魚たちの姿も容易に確認できます。

  

湖の色がエメラルドブルーだったり乳白色がかっていたり、緑色に近かったり様々です。

  

    

木々の間から小さな滝が流れだしています。マイナスイオンたっぷり。

  

  

道端に咲いている花々も実に可愛らしいです。

  

そして、ガイドブックなどでお馴染みの景色も無理なく見ることができました。

  

写真にはあまり人が映っていませんが、ヨーロッパからの観光客で場所によってはすれ違うのもやっとという所もありました。

この素晴らしい景色を多くの方に紹介したいなぁと思いながら、散策した一日でした。   
                                                          (あ)


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皆様 こんにちは

ドブロヴニクの景色はいかがでしたか?
空港から市内へ向かう高台の道から、旧市街がみえてくると思わず「うゎ~」と言ってしまう印象的な町でした。
ドブロヴニクを後にして、一部ボスニアを通りながらアドリア海最大の港町、スプリットへ向かいます。

ここはローマ皇帝ディオクレティヌアスの宮殿が、そのまま旧市街となっている珍しい町です。
このディオクレティヌアス帝は3世紀末に活躍した皇帝で、軍事面、政治面と多岐にわたって手腕を発揮し、ローマ帝国の体質を変容させた皇帝です。また、キリスト教徒からはローマ時代を通じて最も過酷な迫害をした帝として知られています。305年、自らの意思で引退し、生まれ故郷の近くのこのスピリットの地に住むようになりました。

彼の死後しばらくして、ローマ帝国が滅亡し、異民族が大挙してこの地に入り込んできます。近郊地から避難してきた人々がこの宮殿に住み始めたのが7世紀のことでした。
人々は宮殿の基礎部分をそのままに、その上に建物を建てていきました。かつての宮殿を中心にして内部にはレストランや商店、ホテルなどがひしめき合っています。

古代ローマと現代が融合した町、これがドブロヴニク同様、ユネスコ世界遺産に登録されたスプリットなのです。

では、旧市街へ入ります。
旧市街である宮殿の広さは南北が215メートル、東西が180メートルあまりです。
周囲の壁の厚さは約2メートル、高さ20メートルという巨大な壁によって囲まれているのです。

銀の門と呼ばれる東門をくぐると、足もとの様子も違ってきます。ローマ時代の石造りの道が続きます。

  

大聖堂の鐘楼も立派です。

宮殿には巨大な地下室があり、この地下部分によって宮殿の上部を支えていたそうです。
地下部分と地上部分は同じつくりになっていたそうですから、地上部分の様子が変わってしまった現在でも、地下を訪れることによって当時の様子をうかがうことができます。

入場券を買って地下遺跡を見学します。

中世になるとこの場所は倉庫として使われたり、ワインやオリープオイル作りに使われたりしましたが、その後、ごみ置き場として使われることもあったようです。

  

かつての宮殿の中にも、現在では普通に人々が居住しています。

  

宮殿跡中心のペリスティル。

とても素敵な日時計もありました。

正面の南門の様子です。

南門の反対側はもう海。アドリア海が青く輝いています。

せっかく港町に来たのだからと、フェリーに乗って近くの島へ足を伸ばしました。

クロアチアで最も美しいといわれるビーチがある、ブラチュ島へ船で1時間。
ビーチへ続く道には露店も出て、にぎわいを見せています。

ワンコも楽しそうに泳いでいます。

  

ビーチには家族づれなどで大盛況。

  

  

私も、せっかく来たのだからと海に入りますが、35℃の外気温にもかかわらず、水が冷たすぎて、ギブアップしました。

まぶしい真夏の太陽の下、のんびりバカンス気分を味わいました。
                                                         (あ)



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皆様 こんにちは! クロアチア語では Dobar dan(ドバル ダン)と言います。

今日から5回シリーズでクロアチアを紹介して参ります。
冒頭に書きました、Dobar dan はクロアチア語で、「こんにちは」ですが、実は、私、この言葉をはじめとしたいかなるクロアチア語も現地で使いませんでした。
クロアチアは日本人には馴染みの薄い場所ですが、ヨーロッパ地域の方々にとっては実に有名な観光地であり、保養地なので、まるで公用語は英語のようです。
もちろん、現地人同士は現地語で話していますが、彼らの話す英語の流暢なことにはびっくりでした。

さて、クロアチアはどこにあるかご存じですか?
アドリア海を挟んだイタリアの右隣です。海沿いの細長い国で北部の方は内陸にせりだしている、まるでゴルフクラブを逆さにしたような形をしています。

クロアチアの歴史を簡単にご紹介しましょう。
クロアチアも他の西ヨーロッパの国々同様、かつてはローマ帝国の支配下にありましたが、ローマ帝国の崩壊後、7世紀ごろには独自の公国を、そして9世紀には独立国家を建設しました。
そのころまにはキリスト教がこの地に浸透し、10世紀になるとクロアチア人たちはクロアチア王国を形成するのですが、11世紀になるとハンガリー王国の支配下に入ります。
16世紀に入ると、クロアチアはハンガリーとともにハプスブルグ帝国の下に組み込まれます。度重なるオスマントルコ軍の来襲にもかかわらず、クロアチアは経済と文化の発展を続けます。

第一次世界大戦にてハプスブルグ帝国が没落すると、クロアチア人たちは70年という長きにわたって敗戦国民として長く苦しい歴史を歩みます。
敗戦後、彼らは「スロバキア・クロアチア・セルビア王国」(後に「ユーゴスラビア王国」と改称)を建てるのですが、この国も第二次世界大戦の戦乱の中、消滅します。
大戦後はソ連の社会主義体制を押し付けられます。50年間の共産党時代を経て、多くの東ヨーロッパの国々同様、民主主義を選択することとなります。1991年クロアチアはユーゴスラビア連合より独立するのですが、国内のセルビア人を保護するという名目でユーゴスラビア連合軍がクロアチアに攻め入り多くの都市が被害を受けます。
そしてようやく1992年1月15日国際社会に独立国家として認められるのですが、内戦は1995年まで続きました。

戦闘終結から約15年経て、現在のクロアチアを訪れると戦争の爪痕を感じることは非常に難しいような気がいたします。
しかし目を凝らしてみると、街のあちこちに戦争の面影を見ることができます。

それでは、さっそくクロアチアの南の町、そして世界遺産都市、また宮崎駿の名作「紅の豚」の舞台とも言われるドブロヴニクからご紹介しましょう。

"アドリア海の真珠"と讃えられるドブロヴニクは、オレンジ色の屋根が並ぶ旧市街、その町を取り囲む重厚な城壁、そして紺碧の海の色が絶妙なハーモニーを作り出しています。

では、旧市街へ入ってみましょう。

まずピレ門をくぐります。16世紀に作られたこの門のそばには、昔ながらの衣装を身にまとった衛兵が立っております。

  

門をくぐるとオノフリオの噴水に観光客が足を止めています。この日の温度は34度。天然の湧水がいまだに楽しめるこの噴水は15世紀のダ・ミラノの作品です。

  

さっそく城壁に上ります。8世紀から作られ、現在の形には15~16世紀になった城壁の全長は1940メートル、高さは最高で25メートルに達します。通路が狭いので一方通行です。
要塞や見張り塔を通りながら一周します。

  

  

今は使われておりませんが、大砲が海を睨んでおります。

城壁の外側は難攻不落に見える断崖絶壁ですが、平和な現在では、ちょっとした平らな場所にカフェ・レストランなどを設置しております。

ここ、ドブロヴニクには1667年に大地震がありましたが、この頑丈な城壁だけはびくともしなかったそうです。

猫が鳩を眺めています。

城壁を散歩していると、一見同じオレンジ色の建物の屋根の色が微妙に違うことに気付きます。
このドブロヴニクも内戦の際には旧市街の約8割が焼けました。一時は「危機にさらされた世界遺産リスト」に載ったほどです。でも、人々の精力的な努力により、1994年にはこのリストから除外されています。屋根瓦の色が異なるのは、かろうじて残った爆撃前の瓦をできるだけ使い新しい瓦と組み合わせているからです。

  

  

旧港が見えてきました。ここはドブロヴニクで最も古い場所のひとつです。かつてはこの小さな港に世界各国とを結ぶ交易船がひしめき合っていたそうです。

城壁を降りるとショップやレストランが並ぶ目抜き通り、プラツァ通りが200メートルほど続いております。

プラツァ通りの突き当りには先ほどの噴水と同時期に作られたオノフリオの小噴水があります。

この場所はルジャ広場と呼ばれていまして、周囲はスポンザ宮殿、聖ヴラホ教会、市庁舎に囲まれています。

  

街を散策すると、青空市場「グンドゥリチェフ広場」が広がっています。パラソルの下、イチジクなどの自家製ドライフルーツやハチミツなどを売っています。

  

旧市街を出て、町を一望できるスルジ山に登ってみました。標高412メートルの山頂へはかつてロープウェイで登ることがきたそうですが、内戦の際に破壊されてしまったそうです。

本当に素晴らしい眺め!! 海の碧さと旧市街のオレンジ色が「アドリア海の赤い真珠」という言葉を思い出させます。
沖合に浮かぶ島々。沖合に停泊している豪華客船。

絶景!                                               (あ)


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皆様 こんにちは

先日、韓国から帰国しました小豆畑です。
今、青森市はねぶた祭りに沸いております。今年は、例年になく涼しくて、初めて青森にこられた方はきっとびっくりされていることでしょうね。

ところで、皆様は東奥日報 観光部がどこにあるか、ご存知でしょうか?
青森市の中心、新町通りからちょっと曲がったところにあるんです。
電話などで「昔の東奥日報本社」と説明申し上げると、たいていは"あぁ、あそこね"と言われるのですが。
観光部が新町にありますのは、もちろん、お客様の利便性を考えてのことなのですが、私たち観光部員にもちょっとしたメリットがあります。
それは、街が近いことです。

街が近いと、お昼をいろいろな場所で食べられますし、本屋さんも近いし、百貨店も近いし、大変便利です。

ただ、私自身は、お昼は徒歩圏内で半径200mと決めています。
添乗で1日1万歩などは平気なくせに、会社にいるときは実に怠け者なのです。

先日、近くのコーヒーショップで(週に2回は行きますね)お昼を食べて、お店を出ようとしましたら、二人のお客様にお会いしました。
お一人は昨年、南米にご一緒させていただきましたJ様、そしてその方のお連れの方が、先日スイスへの旅行でご一緒させていただきましたK様でした。
旅行以外で、例えば道でとか、レストランでとか、お客様にお目にかかれることは本当に嬉しいことでございます。
かつて首都圏で仕事をしていたときには、仕事以外でお客様に遭遇するなんてことはあり得ないことでしたから。

その際、J様とK様に「いつも"旅くらぶ"見てます。楽しみにしていますよ。」と言われました。
それが、本当に嬉しくて。
ブログを書いていても、実際、お客様方に読んでいただいているのか、私たちにはわからないものですから、このように言われますと、「書き甲斐」があるわけです。

J様、K様、今日もこのブログをお読みいただいてますか?

そして、この「とうおう旅くらぶ」を購読いただいております皆様、いつも、ありがとうございます。
これからも、よろしくお願いたします。
左側にWEB東奥のニュースもありますので、そちらもご覧下さいね。


ところで、先日、夏休みを頂戴し、クロアチアへ行ってきました。
最近、テレビや雑誌にも取り上げられておりますクロアチアですが、私自身まだ訪れたことがなかったものですから。
たくさんの写真と共に、クロアチアの魅力をお伝えします。想像以上に素敵でしたよ。

1週間の滞在の後、いつか、クロアチアの旅行を企画したいなぁと思いながら帰国しました。
また、このクロアチア滞在記の最後には、クロアチアのおみやげを抽選でプレゼントいたしますので、そちらもお楽しみに。

                                                    (あ)


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アンニョンハセヨ!

長いようで、短い5日間が終わりました。
朝4時30分に起きて、食料品店に寄り、新鮮なキムチなどを購入した後、隣の食堂で韓国式の朝食を頂きました。
今日のメニューは鯖の焼き魚に目玉焼き、ナムル、キムチ、ご飯にわかめスープです。

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こちらの方は、誕生日の朝にわかめスープを飲むそうです。
また、産後の女性も約1ヶ月、1日5回わかめスープを飲むそうです。
ただし、受験生のいる家庭ではこのスープ、わかめがツルツル滑るからといって、ご法度らしいですよ。受験に失敗すると、わかめスープを飲んだという表現をするとか。
日本は何でしたっけ?
私は受験の時に「とんかつ」を食べたような気がします。
受験に「カツ」ように。

今日は日曜日ということもあり、空港内はだいぶと込み合っていました。

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とにかく、韓国の方が多いようです。
夏休みだからということもあるそうですが、今はウォンが安くて大変だという割には、皆さん旅行されているようです。
昨日、立ち寄りましたロッテ免税店でも高級バック店の前に列をつくっておられたのは、全部現地の方でした。

9時25分 定刻どおり、大韓航空便は青森に向けて飛び立ちました。

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このブログを皆様がお読みになるころにはもうねぶた祭りが始まっていますね。

この機内に搭乗されている方の中でも、ねぶた祭りを見学する方がおられるのでしょう。
たくさんの方々に郷土の祭りを楽しんでいただける! 一青森市民として、うれしい限りです。

5日間に渡る、済州島・世界自然遺産と慶州・ソウルの旅も無事終了いたしました。
それぞれの町を案内してくださった、現地のガイドさんたち、手配先の皆さん、また、留守を守ってくださった同僚の皆さん、おかげさまで今回もツアーが楽しく終わりました。
本当に天気に恵まれ、暑すぎず、雨にもあたらず、幸せでした。

ご参加賜りましたお客様、そして留守宅を守られておられたご家族の皆様、ありがとうございました。
また、近いうちに皆様方にお目にかかれます日を楽しみにしております。

カムサハムニダ。また、お会いしましょう。         小豆畑 理恵


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アンニョンハセヨ!

今日は、朝、慶州のホテルを出発し、東大邸の駅から韓国高速鉄道KTXでソウルへ向かいました。

10:41東大邸発のKTXは発車を知らせるベルなどなく、ゆっくりと駅を出発しました。

最高速度300kmだそうで、私たちは今回、日本のグリーン車にあたる1等車に乗車しました。

1等車では、お水が無料でサービスされるなど、なかなか快適な鉄道の旅になりました。

12:24ソウル駅到着です。

ソウルでは昼食後、国立中央博物館、昌徳宮、仁寺洞を見学しました。

最初に訪れましたのが、国立中央博物館です。

  

この博物館は1945年、日本の植民地時代が終焉を迎えるとともにその歴史をスタートさせました。
その後、60年、さまざまな理由から6回も場所を変え、そしてとうとう2005年10月28日、龍山に新しくオープンしたのです。
敷地面積93,000坪、展示面積8,100坪、所蔵文化財は150,000点、展示文化財は11,000点に上ります。
一日に最大1万6000人が入場できる、世界第六位の博物館です。

次に訪れましたのが、昌徳宮です。

1405年に朝鮮王朝の離宮として建てられましたが、文禄・慶長の役で焼失し、1609年に再建されたものです。
そのため、ソウル市内にある5大宮の中では最も保存状態がよく、当時の雰囲気をそのまま漂わせています。

  

  

そして、仁寺洞です。
仁寺洞とは仁寺洞通りという460mほどの通りと、そこから別れている狭い路地のことを言います。

   

路地には古美術品店、ギャラリー、筆専門店など韓国の伝統的な商品を扱う店の他、若い向けの小物類なども扱っている店が所狭しと並んでいます。

    

1900年代の初頭、この場所は一介の住宅地に過ぎなかったそうです。
しかし、日本による植民地時代、この界隈に住む没落した支配階級(両班/ヤンバン)たちが、彼らの持つ貴重な陶磁器や書などを売りに出し、日本人などの骨董品コレクターが集まるようになり、この町を形成していったそうです。


短い時間ではありましたが、ソウルの町を満喫できた一日でした。



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