皆さま、
この非常時に、ようこそお立ち寄りくださいました。
まず何よりも、お見舞いを申し上げます。
お身内の方や知人で、被害に直接あわれた方、または
不幸にして亡くなられたがありましたら、心からお見舞いとお悔やみを申し上げます。

余りにも大きい大災害で、言葉がありません。
このような時、どのような慰めの言葉も、空虚に響くのではないかと思います。
なでしこ自身、この1週間余り、心が晴れません。
つけっぱなしのNHKに一喜一憂し、アメリカのテレビ各局をはしごし、ネットや新聞を読み続ける毎日が続いています。
家の中には掃除の必要が目立ちだし、いろいろな家事や雑用が山積しているのですが、手がつかない状態です。
地震の最初の報せは、東京から来た短いメールでした。
11日金曜の朝8時ごろ、いつものようにメールを開いたら、「地震があったけど、だいじょうぶ」という短いメールが入っていました。

「地震? 何のこと?」
テレビを入れました。
金曜朝の、愚にもつかないモーニングショーとかスターのうわさ話とかの番組が流れているばかり。
有線放送のNHKに切り替えました。
画面は一変しました。
阿鼻叫喚とは、このことを言うのでしょう。
まさに、目を覆うばかりの大惨事が繰り返し映し出されていました。
日本は、金曜夜の10時過ぎとなっていました。
日本との時差は、この時点では14時間(現在は、米東海岸は夏時間に入ったので時差は13時間)でした。
ショックは、言いようがありませんでした。
地獄絵を眼前につきつけられているようで、しばし目をそむけざるをえませんでした。
なでしこは、終戦直前の8月1日に、富山市が爆撃されて全焼したのを高岡市の自宅から目撃しており、地平線が真っ赤に燃えあがるのを見て、次は高岡市、と覚悟したのですが、その時の思いが、遠い記憶の中から立ち上ってきました。
東京でも、あの魔の時間に、高速道路の上を車で走っていて、道路ごと下へ落ちるかと思うほど揺れ、これが最後かーという思いをしたという知人がありました。
地震は、東京の高層ビルにすんでいた間に、何度も経験しています。足元が揺れるというのは、存在の根底を脅かされているようで、気持ちが悪いものですよね。最近のビルは、こんにゃくのように揺れるように作られているので、上層階ほど揺れがひどく、19階の住居では、震度3が、4ほどにも感じられました。
マグニチュード9.0とは、想像もつかない不気味さです。
青森の皆さまも、どんなにか不安感を味わわれた事でしょう。
本当に、たいへんでしたね。
津波に至っては、想像外の恐怖ですね。
今までも、インドネシアの海岸の大津波の被害などが
報じられたことがありますが、確立した街全体が津波に呑み込まれてゆく、その瞬間の映像というのは、全世界が、見たことがありませんでした。
金曜の夜から、アメリカの全放送局は、日本の大地震と津波報道一色となりました。夜7時のプライムタイムニュースの30分間は、全部を日本報道で潰すという異例の扱いでした。
東奥日報紙の3月17日付「ウーマンズ・アイ」に書いた記事から引用します:
「ABCテレビは、メインキャスターのダイアン・ソーヤー始め6人のレポーターとクルーを派遣し、その生々しい現地放送が昨夜(日本時間15日朝)あった。一日に『カップ一杯のライスとスープ少々と水』だけをもらうために、列についている人々の映像を見て、食糧不足の現実がはじめて実感できた。ダイアン・ソーヤーは、全米で一番顔を知られている女性の一人だが、惨状を伝える目がうるんでいた。
『食糧やガソリンの列に数時間黙って立っている人々の忍耐とストイシズムは、驚異である。大災害につきものの暴動も一つも起きていない。日本人のこの冷静、規律、礼節、勤勉、義務感、互助の精神に、深い印象を受けた』
同様のコメントは、米マスコミに溢れている。『世界中の災害地から長年レポートしてきたが、このように冷静で秩序が保たれた様子は、見たことがない』と、ニュース専門CNN局のアンダーソン・クーパーは述べた。世界中に顔を知られているトップ男性記者である」
現地特派記者による報道は、アメリカでは、14日月曜の夜から始まりました。
それからは、地震と津波、次いで原子炉トラブルの映像でもちきりの日々が続いています。
新聞各紙は、詳しい報道を連日数ページで行っています。
映像でショックを受けて、詳細を新聞で読む、という状態です。

CBS特派員は、街全体が津波で押し流された瓦礫の山の中に、辛うじて立っている病院の5階によじ登り、そこに安置されている、白布に覆われた遺体の列を映し出しました。
音一つ無い廃墟の上に広がる青空、病院の物干し台で海風にそよぐ洗濯物、無声の画面に時々かすかに鳴るカラカラという竹竿の音―。
本当に、心に食い入る凄さと哀惜に満ちた画面でした。
忘れる事の出来ないシーンとなりました。
家族を4人も失ったが、救助隊員として働いている、という男性の男泣きにも、涙が出ました。
毎日、悲しくてつらい話が多く、暗澹とした日々です。
感動したのは、東京消防隊員の隊長の記者会見でした。
強い放射線に曝される危険性を承知しての出立だった。
職場からすぐに発ったので、奥さんにはメールで、
「行ってくるよ」と連絡しただけ。奥さんからは、次のメールが返って来たそうです。
「日本の救世主になってください」
なんという、心のこもった、美しくも誇り高い言葉でしょう。
それを話す時の隊長の目に涙が浮かび、視聴しているなでしこも泣きました。
日本中が寄せている祈りを、これほど適切に表した言葉はないだろう、と思いました。

「現場で作業する英雄的なワーカー」に対する賞賛と畏敬の言葉は、アメリカのマスコミにも満ちています。
「東京で座って指図している首脳陣」への皮肉もこめて。
放射能汚染は、米西海岸への現実的恐怖であり、全世界が汚染される可能性もあるので、現在は、その情報に焦点があてられています。
アメリカにも104の原子力発電所があり、25%の電力を供給しているので、「日本の事故はひとごとではない。アメリカの原発は、大丈夫なのか」という議論が連日行われているのです。
今回の事故で米政府は、半径80キロ以内のアメリカ人に退去命令を出していますが、それをニューヨークに近い原発にあてはめると、ニューヨーク市の全人口が退去しなければならないことになる。まさに、危い崖っぷちの生活をしているのだ、ということを知って、愕然としたアメリカ人が多いようです。

避難範囲が、日本政府の勧告より上回っているのはどうしてか、という質問も何度も出されましたが、「アメリカ政府の基準は、日本政府と違う」というだけで、はっきりしません。
これと関連して、日本政府情報と東電情報は信頼出来るのか、という疑問も、ニューヨークタイムズ、ワシントンポスト、ウオールストリート、等の各紙に出始めました。
過去数年の原発事故とその扱いなども詳しく報道しており、日本政府の対応が厳しく見守られています。
連日報道される、災害地の人々の素顔と態度は、アメリカ人の心を打ちました。
「ウーマンズ・アイ」の記事を再び引用すると:
「未曾有の災害を受けて現れた『ふつうの日本人』の美質が、マスコミを通じて全世界に報道されている。『敗戦の焼け野原から驚異的復活をなしとげた日本の底力は、この資質にある。一時的打撃を受けても、日本は立ち上がり、よみがえるだろう』というコメントも多い」

冷静、忍耐、助け合い、思いやり、礼儀正しさ、規律、勤勉、
等々の日本人の美質は、画面から問答無用で伝わってきます。トヨタやソニーを通してしか日本を知らなかった多くのアメリカ人が、それを生み出した「ふつうの日本人」の素顔を、もう2週間余り見続けて、感動しているのです。
今日21日付のワシントンポスト紙に出た、「日本に賭ける」と題した記事は、次のように言っています。
「日本の政治経済機構は硬直していて改革が困難、透明性に欠け、外国人が入りにくく、偏狭な愛国心がくすぶっている社会、という批判がある。だから、今回は復興が危ぶまれると。
しかし、一方、日本には、異文化を吸収し消化し、その結果として、世界の他の文化に日本が影響を与える、という勢力がある。それが、日本の復興と発展を支えてきたのだ。
今までのところ、日本の政治家と企業は、この危機の取り扱いに成功していない。福島第一原発の状況報告の流れに対して、日本国民と世界が抱いている不満といらつきを見るがいい。
しかし、政治的社会的変化は、打撃から来る。上からではなくて。三重の悲劇で惹き起こされた、自発的団結と発明力は、日本の豊かな才能と組織力が失われていないということを示している。私は、やはり、日本に賭ける」

アジアで最大の同盟国として、アメリカは心から日本を応援しています。
日本援助募金は、日を追って集まり、16日までの一部集計は、1億1千4百万ドル(約93億円)の巨額になりました。米赤十字関係や教会関係の一部集計なので、全額が明らかになるのはもっと後になり、額はもっと大きくなるでしょう。
各テレビ局も、ニュースの合間に、献金サイトを映し出しています。指定番号へかけるだけで、自動的に10ドルが献金に支払われ、次の月の請求書に記載される、という手回しの良さ。小口寄付者の手数を省いた、頭のいいやりかたですね。
JPチェースモルガン銀行は、従業員ぐるみで、5百万ドル(4億1千万円)の寄付を約束しました。はじめにまずコミットして、これから寄付を集める、というやり方です。アメリカも不況で、懐具合は苦しいのですが、日本を助けよう、という心は、溢れているのです。

昨年の晩秋、なでしこの玄関口に、パンジーを植えました。
植えてすぐに、予想より早い雪が降り、パンジーは雪の下に埋もれて、消えてしまったように見えました。
ここ数日、春の訪れを思わせる日々が続いたところ、
パンジーは、いっせいに葉をひろげ、臙脂、紫、黄、白、の鮮やかな色の花々が咲き出しました。
生命力とは、かくも見事に強いものなのでしょう。
東北の日本の地にも、春が来ることを祈っております。

「ウーマンズ・アイ」の連載終止に伴い、
「なでしこおばさまサロン」も終了することになりました。
1年間、お立ち寄りいただいた方々にお礼を申し上げます。
コメントを寄せていただいた方々、お名残り惜しいです。
お元気でね!
いつか、どこかで、またお会いしましょう!















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