| 2001年1月29日(月) | ![]() |
第4号 |
ラマダーンの始まりは、人の目で決める。西の空にしん月が出ると、モフティーとよばれる人が、明日からラマダーンが始まることを人々に知らせる。 ラマダーンの間、イスラム教を信じている人々は、太陽が出ている間、水を飲んだり、食べ物を食べたりしてはいけない。ふだんはアホワ(きっさ店のようなところ)でシーシャ(水たばこ)をすっている人をよく見かけるが、ラマダーンの間は見かけなくなる。中にはつばさえも飲まない人もいる。このラマダーンは一〇〇〇年以上前からつづけられている。 だんじきは、まずしい人がごはんを食べられない苦しみを知ったり、ごはんをくれる神様に感しゃの気持ちを持ったりするために行われる。 ラマダーンの間は、人々が仕事を終わる時間がいつもより早くなる。人々が家に帰る時間になると道路はたくさんの車でいっぱいになり、交通事こも多くなるそうだ。また街の中でけんかをする人もよく見る。 このようなことを聞くと、ラマダーンはたいへんだなあと思うかもしれない。しかし、エジプトの人々は、ラマダーンを楽しみにしている。
わたしは、日がしずむ午後五時少し前、ハンハリーリにあるアズハルモスクの前のマエーデットゥラハマーンに行って、イフタール(だんじきが終わった後の食事)をエジプトの人々と楽しんだ。十五才のわかい大工さん、はだしの子ども、おじいさん、あばあさん、へいたいさん、バスの運転手さん、というたくさんの人々と食べた。 わたしと同じテーブルでイフタールを食べたアレキサンドリアから来たアハメッドさんに「ラマダーンは苦しくないか」と聞いたところ、「ラア(いいえ)」と答え、「楽しい」とつづけた。そこでわたしが「ラマダーンは一年中あったほうがいいか」と聞くと、「それはたいへんだ」とわらいながら答えた。 食事が終わった後、アハメッドさんは自分が買ったラマダーンの間だけ作られるおかしをまわりのみんなに分けてあげていた。
植じゅが行われているのは、カイロから西へ百二十キロもはなれたワーディナトルーンというところだ。 わたしのかようカイロ日本人学校でも毎年植じゅを行っている。わたしは、一年に一本ずつ植えてきた。わたしの木は、今年で三本目になった。
植じゅされた木は、もう一万数千本になっている。 わたしが最しょに植えた木は大きくなり、あたりは林のようになっている。 植えた人は、「みんなの植えた木といっしょになって大きな森みたいになってほしい」と話していた。 ◇ 「ラマダーン」と「さばくの緑化」を取材した在家里奈さんは、一九九一(平成三)年、八戸市生まれ。父親のカイロ日本人学校派遣にともない、家族とともにエジプトに住んでいます。現在、同校小学部三年。東奥こども新聞編集部は、こども記者募集の際、県内の五−六年生と対象を限定しています。第4号の募集のとき、インターネットで在家さんから応募がありました。県外に住んでいること、対象学年より下なこと、この二点が応募規定に合っていませんでしたが、海外に住んでその土地のニュースを取材する、という特殊性を評価し、在家さんをこども記者に認め、取材してもらいました。 |