| 2001年1月29日(月) | ![]() |
第4号 |
【五所川原市南小六年・齋藤麻南】
青森県立図書館の館長鈴木健二さんは、テレビで活やくした有名な人だと聞いた。そのような人がなぜ青森で図書館長をやっているのか、いろいろと話を聞いてみた。◇ −なぜ青森へきたのですか。 「私の若いころは、お国のために死ぬことが、日本人として最高の生き方だった。だから、将来何になろうなんて許されなかった」 「どうせ死ぬなら、それまで静かな所で本を読みたいと思って弘前高等学校(旧制)へ行った。そこで三年間すごした。その間に、人を愛することだとか、やさしさだとか、勇気だとか、人間が生きる一番の基本を津軽の風土から教わった。そして帰るときに、いつか津軽に恩返しをしようと思った。そしたら、五十年たってから、私に機会が来た。木村知事から『青森に来てください』と頼まれ、今が津軽に恩返しをするときだと思った」 「弘前にいた十八歳のとき、一人の少女と出会った。その子は戦争孤児の収容施設にいた十二歳の知的障害者で、言葉を持っていない。でも、施設の六十八人全員の洗濯を一人で引き受け、朝から晩まで洗濯をしていた。みんなは、お礼をするあめ一つなかったので『ありがとう』と言うしかなかった。そんな気持ちが伝わるのか、ありがとうを言われると、少しほほえんで目がキラッと光った」 「洗濯機も暖房もなかったので、女の子の手はとても冷たくて、私はその子の手を、わきの下に入れて暖めてあげた。自分の心臓が凍るような手の冷たさを今でも覚えている。いま自分はこれでいいのかと反省し、向上させる心、いま自分は自分以外の人に何をしてあげられるか、『人のために生きてこそ人』ということをこの少女から教えられた」 「少女はその後、交通事故で死んでしまった。私はいつかあの子への鎮魂歌を作りたいと思い続けてきた。その思いが障害者のコンサートを実現させた。今年も十月十四日に弘前の武道舘で『心の青い森コンサート』を開く。みなさんもどうぞ会場に来て拍手をおくってください」 −図書館長として思っていることは何ですか。 「私は図書館のことを何も知らなかったので、世界中の図書館のことを調べた。そうしたら、日本の図書館は『大きな貸本屋』にすぎないことが分かった。県内の図書館の様子も九カ月かけて歩いてみた結果、もっと読もうと呼びかけたり、情報をサービスする場所にしなければならないと思った。情報を与えるという点では、テレビは時間、新聞は紙面に制限があるので、どうしても深さに欠ける。それができるのが図書館だ」 「私は木村知事に県民一人当たりの本の予算を一円だけ増やして、四十九円から五十円にしてもらった。一円増やすと、千冊本が増える。科学の本が少なかったので、ほとんどそれにあて、うち八○%はコンピューターの本を買うことにした。そして、ただ本だけ並べてもだめなので、県内の小学校を回って、考える子になろう、と話しかけたり、今月のテーマを決めてその関連の本をたくさん集めて紹介もする」 「そうやってこの図書館をほかにはない図書館にしようと思っている。おかげで来館者がどんどん増えて、いすが足りないくらいだ。『時代のページを開く図書館』を目指している」 −本の思い出は? 「小学生のころは、厚さ十センチもある講談全集や落語全集を読み、本の面白さや大人の世界を知った。また、十五歳のときに読んだ吉田絃二郎の『静かなる土・麦の丘』は、とても強く心に残っている。その中の『若き日を讃う』という章の始めの二行を紹介しよう。『若いというのは、それだけで美しいことである。一人の人間の魂を獲得するのは、星の世界の全てを手の中に収めるよりも、はるかに貴く、難しいことである』。人と出会うこと、そして一緒に生きていこうとすることは、とても大切で難しいことである。人間というものは、命というものは、それほど大事なものなのだといっている。私は七十二年間生きてきて、たくさん本も読んだが、絶対に忘れない言葉はこれだけだ。この言葉が私の人に対する見方を決めた」 −何のために本を読むのですか。 「いま私は、美術、数学、科学、宗教、歴史の本を読んでいる。ジャンルは別々だけれども、実は横につながっている。人は歴史の中で生き、どういう心を持つかを宗教で学び、物の考え方の基本を数学で身につけ、心を美しくするために芸術作品に触れる。このように本は頭のためだけでなく、心のために読む。少しでも良い人間になれるために、みんなも本を読もう」 −良い本に出会う方法を教えてください。 「本屋さんに行ったら、まず読みたい本を手にとって読む。次に、本屋全体を見る。そして、自分の苦手な本も手にとる。三冊本を読もうと思ったら、そのうちの一冊は自分の不得意な本も読んでみる。すると、別の世界も楽しくなる。図書館にも、とにかく行くことが大切。私が“共通利用券”を作ったので、どこの図書館でもいろいろな本を読むことができる」 −子供たちに言いたいことは何ですか。 「自分で物事をきちんと考えられる子になってほしい。自分のとなりにいる人としっかり手をつなげる子になってほしい。いつでもだれにでも、挨拶(あいさつ)のできる子になってほしい。挨拶の『挨』は開く、『拶』は迫るという意味。つまり、心を開いて相手に近づくのが挨拶。だからとても大切なこと。また、どんな小さなことでも、ありがとうを言える子になってほしい。それを一生続けてほしい。こういう人間が将来すばらしい人間になれる」 ※写真は齋藤記者のインタビューに答える鈴木健二さん=青森県立図書館で
【大鰐町蔵館小六年・羽賀香織】
私は、あるテレビ番組がきっかけで、それまであまり知らなかったボクシングにとても興味をもった。そこで世界ボクシング協会(WBA)ライト級チャンピオンの畑山隆則選手(青森市出身、横浜光)にファクスで取材した。タイトルマッチが近く、いそがしい中、畑山選手からは「とにかく勝って、みんなにいい試合を見せたい」と力強いメッセージが返ってきた。◇ −子供のころの夢は何ですか。 「プロ野球の選手です」 −そんけいしている人はだれですか。 「北方謙三さんです」 −子供のころは、どんな部活に入っていましたか。 「野球部です」 −いま、ボクシング以外でやっているスポーツは何ですか。 「野球とゴルフです」 −いつからボクシングを始めましたか。 「十六歳からです」 −ボクシングを始めたきっかけは何ですか。 「お金がほしかったからです」 −初めての試合はいつでしたか。 「一九九三(平成五)年六月十七日にプロデビューしました。1ラウンドKO勝利でした」 −初めての試合のときはどのような気持ちでしたか。 「すごくきんちょうしました」 −初めての試合と今の試合では気持ちにちがいはありますか。 「初めのうちは、気持ちにゆとりがありませんでしたが、今は気持ちにゆとりを持てるようになりました」 −引退と言ってから再びボクシングをやろうと思ったのはなぜですか。 「引退をしてからジムのトレーナーになり、選手に教えているうちに、自分が選手だったときよりもボクシングをより深く理解できるようになりました。このため、もう一度現役に戻ったら、今までより、もっといいボクシングを見てもらえるのではないか、と思ったからです」 −初めてチャンピオンになったときと、再びチャンピオンになったときとでは、うれしさにちがいはありましたか? もしあったらどうちがいますか。 「そんなにちがいはありません。ただ、自分は運がいいと思います」 −ボクシングをしていて、楽しいこととつらいことは何ですか。 「楽しいことは、いろんな人に応援されることです。つらいことは、キャンプに入ると、大好きなワインが飲めないことです」 −試合のどのくらい前から、どのような練習をしているのですか。 「試合が終わったら、一カ月くらいは休みますが、それからはじょじょに体を動かして、朝はロードワーク、午後からはジムで練習をしています」 −タレントさんのようにテレビに出たり、今度は大学生にもなるそうですが、そんなにいそがしくてボクシングにえいきょうはないのですか。 「練習は時間をみて、あいている時間にやっているので、そんなにえいきょうはありません」 −自分の子供にボクシングをやらせたいと思いますか。 「絶対に子供にはやってほしくないです。できれば野球選手にしたいです」 −私がもしボクサーだったら、なぐられるのはこわいと思うんですが、試合ではこわくないのですか。 「こわくない、と言ったらうそになります。でも試合が始まる前の、待っている時間が一番いやで、早くリングに上がって試合をしたい、といつも思っています」 −今度の試合に向けて今、どんな気持ちですか。 「とにかく勝って、みんなにいい試合を見せたいです」 −選手として、これからの目標を教えてください。 「ボクシングの楽しさをみんなに見せたいです。そして、できれば地元の青森で世界戦をやって、青森のみなさんに恩返しをしたいと思っています」 −二十一世紀のこどもたちに、ひとことお願いします。 「自分が好きなことや夢中になれるものを一つ見つけて、それを一生けんめいがんばってほしいです」 −最後に、アメリカに行くそうですが、これからの予定を簡単に教えてください。 「一月二日からロサンゼルスで練習し、二月十七日に東京・領国国技館でリック吉村選手と試合をします。応援をよろしくお願いします」 ◇ 畑山選手、スケジュールがつまっている中、こころよく取材に応じてくれてどうもありがとうございます。今度の試合は、みんなで応援していますので、ぜひがんばってください。そして、私たちにすてきな夢をあたえてください。 ※写真は昨年6月11日、WBAライト級王者・セラノをKOで破り2階級制覇を達成した畑山隆則選手=東京・有明コロシアム |