| 2001年1月29日(月) | ![]() | 第4号 |
【弘前市和徳小六年・鈴木翔子】 毎年、七草をすぎたころになると、母の実家から冬の津軽の郷土料理「けの汁」をもらう。 「けの汁」は、お嫁さんが実家に帰る安らぎの日(小正月。別名女正月)に、仕事休めのためにつくられるという。 大きななべにたくさん作って、温めなおしながら少しずつ食べる。日を重ねるほどに味がしみこみ、おいしさがにじみ出てくる。 祖母に作り方を聞いた。材料は大根、ニンジン、ゼンマイ、コンブ、凍り豆腐、油あげ、フキ、ゴボウ、枝豆、糸こんにゃく、みそ。まず、コンブと枝豆以外の材料を五_角に刻む。コンブからだしをとっておく。なべにだしと刻んだ材料を入れる。少しにえてきたら、みそを入れ味見をしてできあがり。 祖母は「けの汁は、自分が若いとき、母から教わった郷土料理。なます、じゃっぱ汁も教わった。これからも津軽の文化として郷土料理を残していきたい」と話してくれた。
島口さんらは現在、小川原湖の地質や化石について調査している。昨年の春から、五年間続けるそうだ。小川原湖では以前にも、湖はんからナウマンゾウの歯の化石が見つかったり、おととしには、湖底からトラのきばの化石が引き上げられたりしている。島口さんらも昨年、湖底さらいをしてみたが、結局何も見つからなかったそうだ。 島口さんらは、小川原湖を調査する前にも、下北半島や津軽半島、白神山地を調査している。 見つかった化石の多くは、貝化石で、古いもので千六百万年ぐらい前という。そのほかにも、八戸からは三百万年前、岩木町からは七百万年より古いと考えられるクジラの化石が、それぞれ見つかっている。また、十万〜三十万年前と思われるゾウの化石なども見つかっている。 貝の化石は、だいたい県のどこでもとれ、わりと何種類もかたまって出てくるため、昔の環境を知る手がかりになるそうだ。
それに対してクジラやゾウは、めったに見つからず、見つかったとしても何種類もかたまって出ることはない。そのため、それらの化石から分かることは、その生物がどのような進化をしてきたかや、その生物の生活の様子といったところである。小川原湖で化石の研究をしているのは、島口さんのほかに県総合学校教育センター指導主事の工藤さんと、高校と中学校の先生が一人ずつの計四人という。 また、県内の施設で化石研究をしているのは、郷土館と弘前大学理工学部の二カ所だけで、そのうち大きな化石をあつかっているのは、郷土館だけだそうだ。発くつした化石は、郷土館に運んできて、クリーニングする。どろなどを取りのぞかれた化石は大切に保管し、研究が終わると展示されることになる。 このようにして展示されたものには、岩木山のふもとで発見されたクジラや貝の化石などもあった。島口さんは、下北半島の調査報告書を書いて、八月には展示会を開く予定である。 島口さんは「化石かもしれない変な石を拾ったら、郷土館に教えてほしい。それに、化石に興味をもってほしい」と話していた。 また、研究仲間の工藤さんは、化石採集のみりょくについて「だれも知らない所から、大昔の生き物がいた証拠を見つけるところがおもしろい。でも、化石のない地そうが多くて、さがすのに根気がいる」と話したあと、子供たちに向けて「家でゲームばかりしていないで、家族でたまに地そうを見に行ったりしてほしい。理科は楽しいので、学校の授業だけでなく、実際にものを作ったりして、理科を楽しんでほしい」とつけ加えていた。 ※写真は岩木山のふもとで見つかったクジラの化石
【弘前市第三大成小六年・工藤陽平】
斜陽館の斎藤務館長が「これが本当の津軽の地吹雪です。斜陽館の中も暖房を通していないので、昔のあるがままの斜陽館を見てください」と出迎えてくれた。 斜陽館について、今幸樹担当からいろいろ聞いた。それによると、斜陽館は金木町太宰記念館としてオープンしてから二年七カ月がたち、全国各地から訪れた人は二十六万五千六百人をこえた。 人々が斜陽館のどこに感動するかについては、太宰治がこの家で生活をしていたということ、土間の広さ、洋間階段の造りなどに対して。その中でも今では立ち入り禁止になっている細い階段があり、この階段は主に津島家の人々が使用し、二階に行く近道だった。斜陽館を訪ねた子供の一人が「となりのトトロに出てくる階段だね」と名づけた、という。 最後に、斎藤館長から、これからの斜陽館についての思いを語ってもらった。斎藤館長は「今の斜陽館をこのままの状態で保存し、継続させていきたい。新年度には芦野公園にある文学碑の横に添碑を建て、例年六月十九日におこなわれている生誕祭で、除幕式をおこなう予定だ。斜陽館は太宰治ファンにとってかけがえのない場所であり、金木町の誇りと活性化につなげていきたい」と語っていた。
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