| 2000年1月31日(月) | ![]() | 第2号 |
木村さん、自分の力を出しきれるようにがんばってください。
村内には小学校が三校あり、このうち中市小は現在、児童数が八十一人だが、五年ほど前は百二十人あまりいた。この五年間のうちに四十人もの児童が減っているのだ。 このまま、どんどん減りつづけていくのか気になり、村役場で、これから入学が予想される児童の数を調べた。その結果(表)、中市小の入学数が少ないのがめだつ。村全体でも入学する人数は少なく、これではやはり倉石村から子供がいなくなるのではと心配になる。 それを防止するため、村が行っていることがある。住民課長補佐の浦崎正美さんと担当の中村亙さんは「安心して子供を産み、育てることが出来れば少子化対策につながる。そのため村内三地区で学童クラブを実施し、一年生から三年生までの児童を預かっている。さらに、保育所と児童館にすべり台と大型ブロック、また学童クラブにはサッカーゴールや卓球台などを新たに準備することにしている」と同村の少子化対策を説明してくれた。
<八戸市庁>
【八戸市白山台小五年・中村友利恵】 八戸市庁は、コンピューターの二○○○年問題(Y2K)でけいかいしていたが、大きな混乱もなく越年し、ほっとした表情を見せている。同市庁にはメーンコンピューターのほか、二百三十六台のパソコンがある。市は平成八年四月から、Y2Kに取り組んできた。昨年五月十三日には「八戸コンピュータ西暦二○○○年問題対策会議」(委員長・西幹雄総務部長)が発足。注目を集めていた越年時には市庁五十四人、市民病院二百二人の計二百五十六人体制で取り組んだ。 同市庁のパソコンに誤作動は起きなかったが一月三日、八戸市農業交流研修センターの気象情報システムの画面表示にエラーが発生した。このコンピューターは、メーカーから「問題無し」と文書でもらっていたが、トラブルが起きてしまった。もっとも、外部へのえいきょうは、まったくない、とのことだった。 市庁総務部情報システム課の池田さんは「平成八年から、先輩たちより引きついでY2Kに取り組み、対策マニュアル作りなどをしてきたが、大きな混乱もなくホッとしている。うるう年の二月二十九日も注意していきたい」と話している。 二○○○年問題は、西暦を下二けたで扱っているコンピューターのプログラムが、二○○○年を一九○○年とごかいし、正常に作動しないことで起こるトラブル。Y2KとはYear(年)の「Y」、2000年の「2」、Kilo(千の単位)の「K」という。Y2Kで二○○○年を表している。 ※写真はY2K対策でパソコンをチェックする八戸市庁情報システム課 <青森中央郵便局>
【青森市浜田小六年・稲葉史恵】 コンピューターの二○○○年問題について青森中央郵便局の石井靖三局長と総務課の坂本さんに話を聞いた。心配されていた年賀状などへの影響はなかった、という。二○○○年問題は、二○○○年を一九○○年とまちがって表示してしまうなどコンピューターの誤作動のこと。その対応は、各省庁が一年ほど前から行ってきた。郵便局では、区分機の停止、郵便貯金や保険業務などのデータ消滅が心配されていた。 一番心配されていたのは、年賀状。青森中央郵便局が一月一日にあつかう年賀状は約三百六十万枚だが、通常どおり届けられ、大きなトラブルがなかった。しかし郵便局は「まだまだ油断はできない」と気をひきしめている。 青森中央郵便局は通常、青森市の約半分にあたる一日約十二万枚の郵便物を仕分け、配達している。区分機は一時間あたり約五万枚処理できる。年賀状では郵便番号をきちんと七けたで書いてくれなかった人が多数いたため、仕分けに時間と手間がかかり困った、という。 石井局長は「九五%の人は郵便番号をきちんと七けたで書いてくれるが、五%は番号を漢字で書いたり、間違って書いたりした。分からないときは調べてから書いてほしい」と話していた。 ※写真は郵便区分機の前で2000年問題を説明する石井青森中央郵便局長 <むつ市役所・病院> 【むつ市第二田名部小六年・佐藤友希】 二○○○年問題で、むつ市役所、むつ病院は、どのような対策をして、その結果はどうだったのか調べた。 <市役所>広報公聴課の瀬川さんから話を聞いた。 市役所では税金の計算や生年月日などいろいろな記録や証明書の発行にコンピューターを使っている。コンピューターの日付計算のプログラムをそのままにしておくと、間違って計算されたり、大切な記録が消えてしまったり、コンピューターが止まってしまうなど市民への影響が心配されていた。 その対策として、コンピューターのシステムを西暦二○○○年に対応したものに変え、日付を二○○○年一月一日にし、模擬テストなどで処理に間違いがないか確認してきた。また、対策本部をおき、問題がおきたらすぐ対応できるように担当職員を決めておいた。 また、市民の大切な記録などは、仕事納めの十二月二十八日時点のものを紙に印刷しておいた。仕事始めの前日の一月三日にコンピューターが正常に動くか確認した。 その結果、現在まで問題は起きていない。しかし、今年はうるう年のため二月二十九日を正確に判断できるか、という問題もある。このため、今後も問題が起きたらすぐ対応できるように備えている。 <むつ病院>総務課の森課長から話を聞いた。 病院では、人工呼吸器が止まる恐れやコンピューターなどの誤作動によるいろいろな医療機器の故障、誤作動が心配された。 対策として、停電しても大丈夫なように、市が病院内に自家発電を準備し、念のため手動の発電機を各病棟にも準備した。また、医者を通常の二人から十五人、看護婦を通常の二十七人から六十六人に増やし、その他職員も合わせ百二十三人が病院で待機した。 同病院は二○○○年問題危機管理計画にもとづき、患者の命を守るため、半年間もテストを重ね、二重三重の対策をとってきた。 その結果、四−五カ所で小さな誤作動があったが、故障もなく、大きな問題はなかった。 このように、大きな施設では、さまざまな人が二○○○年問題に取り組み、その努力で大きな問題は起こらなかった。しかし、市役所で言っているように、うるう年の今年は、一年間、気をつける必要がありそうだ。
【弘大付小五年・鈴木麻美】 二○○○年おめでとう。二○○○年になったしゅんかんに起こると予想された“二○○○年問題”。被害がすこし出た地域があったようだが、わたしたちの住む地域では問題が無かった。 そもそも二○○○年問題とは何なのだろうか。電気の停止、電話回線の停止、コンピューターの誤作動などが予想されていた。世界中の人々は、二○○○年へのカウントダウンを楽しみながらも、不安をかかえているようだった。しかし何事も無く二○○○年一月一日になり、多くの人たちが初売りにくり出すなど、町はいつも通りのにぎわいをみせていた。 いつも思うのだが、日本人は、何か起こったり、起ころうとしたりすると、騒ぎすぎるのではないだろうか。ノストラダムスの大予言も日本だけで騒いだような気がする。今回だって、コンピューターに関心が無かったり、関係の無い人が騒いだだけなのではないだろうか。特に首相。「安心ですが、備えはした方がいいです」と言わなければ、これほど大騒ぎにならなかっただろう。用心深いのは良いことだが、もっと考えて行動してほしい。 だが、二○○○年は始まったばかり。問題は山積している。経済問題、外交問題、貧しい子どもの問題…。そんな二○○○年に生きていて、一○○○年はどうだったのだろう、とふと思う。年表を見ると、紫式部が源氏物語を書き、清少納言が枕草子を著したころだ。二○○○年問題は、三○○○年になったとき、どのように振り返られるのだろうか。 空騒ぎの感じだったが、とにかく、この二○○○年問題でわたしたちは、用心することは大切なことだ、と学んだような気がする。二○○○年代、いろいろなことがあるだろう。まずは用心、ご用心、火の用心、だ。
◆青森の良さを伝えたい 【青森市古川小六年・八木橋奈央】 青森県は一九九八年、文化観光立県宣言をした。 「文化」とは、人類が自然を素材とし、理想や精神的な価値を実現していく過程で生まれてくるものである。 青森県のもつ自然を生かし、心の豊かさを人に与え文化を伝えるためには、まずわたしたちが青森県の自然、文化を知り、愛さなくてはいけないのではないだろうか。 豊かな自然、と一口に言っても十和田湖、城ケ倉などあるが、そこから得られる心の安らぎを、どのように説明していいのかわからない。また、棟方志功をはじめ日本を代表する文化人や、伝統あるねぶた祭りはあるが、正直なところわたし自身、その作品や歴史はあまり知らない。 つまり、小学生のわたしたちが、これからの青森県の将来を見すえ、青森県に伝わる文化や自然の豊かさを知り、伝達していく方法を考えなければいけない、と思う。 そのためには、子供たちが自然や文化に接する場をつくるべきだ、と思う。例えば、青森県を代表する文化人の展覧会などを、子供向けに開いたり、総合学習として、青森県を他県に紹介するような授業をしたりすればいいと思う。インターネット、図書館、地域の施設の活用も大切になるだろう。 このような工夫をして、わたしたちが大人になったとき、青森県の良さを国内外に自まんできるような自分になっていきたい。 ◆安全に歩ける街にして 【五所川原市栄小六年・吉村薫】 冬の通学は大変だ。家から約一・五キロのきょりなのに、学校につくまでいろいろな苦労がある。 まず、家を出て歩道にむかうと雪が山積み。通れないため、仕方なく車道を歩くと、いきなり目の前を車を横切った。「ふう、危ない。雪で車が見えなかった」と一息ついた瞬間、車に飛ばされた雪どけ水が服にふりかかった。「今日もずぶぬれか」と気分を害し、とぼとぼ歩き始める。 横断歩道に到着。歩行者用の信号が青に変わった。しかし、車は止まってくれない。四車線分の長い横断歩道を、小走りでハラハラしながらわたり終える。この歩道は除雪されていたが、ごみや犬のふんをふまないように気をつけて歩かなくてはならなかった。 さらに、凍ってつるつるの道を転ばないように注意しながら進んでいく。みどり橋という歩道橋の側の横断歩道に立っている、みどりのおばさんにあいさつをして、やっと学校に到着。これが毎日の通学の様子である。 六年生の僕がこんな通学をしているとき、一、二年生はもっと大変そうに歩いている。雪にうもれてゆっくりとしか進めなかったり、氷の上でバランスをくずしたり。危険だ。 僕は四月から中学生だ。中学校への通学きょりは、小学校の二倍だ。二倍のきょりを気をつけて歩くのはつらい。だから、季節を問わず歩道がしっかり整備されていることが、歩行者の僕たちにはうれしい街になる。僕たち通学者のためにも“きれいに整備された通学路”にしてもらえないだろうか。 |